Japanese Translation: Easter Message (April 12, 2012) - Translation by Hide Seya

Updated: Nov 11, 2020

2020 年イースター日曜礼拝メッセージ ヨハネの福音書第 20 章 1 節~18 節 新しいこと

墓に来た。 その時、マリヤはとても大変な状況にありました。マリヤと他の全ての弟子たちにとっては、 全てを失ったような状況でした。神の御子、救い主と信じていたイエスが死んだからです。 イエスが十字架で死んだのを見てからまだ数日も経っていませんでした。 マリヤと弟子たちの人生は、この3年間、イエスを中心に動いていました。3年間、イエス とともに過ごしてきたのです。イエスとともに食べ、イエスの教えを聞いてきました。イエ スが奇跡を行うのを見てきたし、病人や盲人を癒すのも見てきました。マリヤは自分の兄弟 がよみがえったことも見てきました。 イエスは、状況が大きく変わることを予め警告をしていました。自分は権力者の手に渡され、 十字架で死ぬことを告げていたのです。けれども、彼らはイエス(のそのような言葉)を信 じていなかったように私は思います。何度、イエスがこのことを話しても、マリヤや弟子た ちは、毎回、違う話へと話題を変えたり、ほかの(関係のない)質問をしたりしていました。 ペテロについては、イエスが自分の死について話したことについて、イエスをいさめること までしました。 そして、イエスが死んだとき、それはマリヤと弟子たちにとって、とても大きなショックで した。どうしてイエスが死ぬことがあり得るのだろうか。死人をよみがえらせた人が死ぬの か、と。 イエスが死んだとき、その死とともに、彼らが抱いていた未来の希望も全て消えたことは、 想像がつきます。少なくとも、彼らが期待していたこと、それは、イエスが支配者となり、 イスラエルに栄光が戻り、敵国から自由となることでした。彼らは、いつからイエスが国を 治め始めるのかを質問し続けていました。そして、いつ自分たちが、イエスとともに国を治 めることができるのかを。しかし、今、少なくとも、彼らにとって、それは叶わないことと なったのです。 そのため、マリヤと弟子たち全員にとって、状況はあまりに厳しく、自分たちの世界がひっ くり返ってしまったような状況でした。

今、私たちも、彼らの心情と通じるところがあるのではないかと思います。 今、私たちの世界も、同じように、物事がひっくり返ったような状況にあります。Covid 19(コロナウイルス)は世界を大きく変えてしまったし、今も、予想もつかない有様で変え続 けています。ここまで、あまりに全世界へ影響を及ぼすことは、歴史的にも多くはありませ ん。 政府においても、ビジネスにおいても、また、私たちの日常においても、つい数か月前から は、すべてが変わってしまいました。 2020年について、私たちがどのような計画を持っていたにしても、それらは、この数か 月で大きく変わってしまいました。 例として、私は、子どもや大人へ英語を教える伝道として、Shine English School という学 校を持っていますが、以前は、大体、36 名ほどの生徒が来てくれていましたが、3 月になる と、生徒が 6 名になり、4 月には、3 名の生徒のみとなりました。 コロナウイルスによる変化は大きなものであり、私たちもいつまでやっていけるのか、不確 かな状況です。 今は、当然、世界での医療の研究は、ワクチンの生成に向けられています。現代科学をもっ てして、いつの日かすばらしい治療方法が見つかるかもしれません。(誰にもわからないこ とですが。)ただし、そのような日がいつになるかも分かりません。 そして、もしかしたら、Covid 19(コロナウイルス)は、突然消滅するかもしれません。研 究によると、病原性ウイルスは、時間の経過とともに弱まっていく傾向があります。自然の 選択の一種です。症状が重い人は自宅療養か病院へ行くわけですが、症状が軽い人はそのま ま生活を続けるため、弱めの種類のウイルスが優先的に広まっていくのです。スペイン風邪 が第一次世界大戦の終わりに突如消えたことも同じ理由によると多くの人は考えています。Covid 19(コロナウイルス)も同じようになるのだろうと思います。 しかし、重ねてですが、それがいつ起こるか、今はわかりません。 生活や仕事、計画が突然変わり、以前より未来が見えなくなってきているなかで、私自身も 含め、私たちの多くは、マリヤや弟子たちが置かれていた状況と似たような状況にいます。 それで、マリヤと弟子たちは、その時に何をしていたのでしょうか。正直、起こっていたこ とをまだ理解しきれていなかったとように見えるし、どのように理解すればよいのか分か

らないでいたのです。そして、その状況に嘆いていたのです。 墓に戻ってきたときのマリヤはそのような状態だったと思います。墓に戻ったのは、起こっ た状況を理解するためであり、その状況に悲しんでいたのです。墓に行くことの、ほかの理 由はないと思います。聖書の他の箇所では、イエスの体に油を塗るために、マリヤは他の女 たちと、香料を持って、墓に戻ったとも書いてありますが、その必要はなかったと思います。 それは、既にニコデモが、庶民の女たちが買うことのできるよりはるかに多くの量の香料を もって、イエスに油を塗っており、墓に戻る本当の理由などなかったのです。しかし、マリ ヤは他に何をしてよいか分からなかったのです。墓に戻るということが、彼女たちの悲しむ 方法だったのです。そして、その大きな変化、その大きな喪失を咀嚼(そしゃく)する方法 だったのです。元の場所(墓)に戻るということが、その方法だったのです。 これはもっともなことだし、必要なことだと私は思います。悲しんでいるのは信仰がないた めだと思うかもしれませんが、私はそのように思いません。神は私たちが悲しむことを望ん でいないとは思いません。何故なら、人が悲しむのは、神が人をそのように創造されたから です。神は人を神のかたちとして造られ、悲しみを私たちの性質の一部として造られました。 それは、悲しみが神のご性質の一部であるからです。神は悲しまれます。神であり、かつ、 人であるお方、イエスご自身、また、私を見た者は父を見たのです、と自分について語られ たイエスご自身も悲しんだのです。 イエスは、マリヤの兄弟ラザロが死んだときに、後で彼を死からよみがえらせることを知っ ていたけれども、マリヤと共に悲しみました。イエスは、マリヤと共に涙を流されました。 それはイエスに信仰がなかったからではなく、イエスはその後何が起こるかをご存知でし た。それでもイエスは悲しんだのです。 私は、兄弟姉妹に対して、今出来ることは、ともに悲しむということではないかと思います。 自分たちが直面していること-とても大変なことであるならなおさら-を分かち合い、共 に悲しみ、直面していることを咀嚼(そしゃく)するということです。 しかし、今日の聖書箇所から分かることは、終わりにあるものが悲しみではないということ です。悲しみは、大きな変化を通り抜ける中の過程ではありますが、それが終わりではない のです。 空(から)の墓 ですので、マリヤは悲しみの過程の中にいました。しかし、彼女は、その元の場所(墓)に

戻ったなか、以前と違うことを見つけました。墓の中には誰もいなかったことです。墓は空 (から)でした。彼女は、この悲しみという過程の中で新しいことを見つけたのです。私た ちは、このこと(墓が空(から)であること)は、素晴らしい知らせ(ニュース)であり、 墓が空(から)であるのは、イエスがよみがえったためだと分かっています。しかし、マリ ヤはこの時、まだ墓が空(から)であることとイエスのよみがえりが(頭の中で)つながっ ていません。そこに賛美すべき理由があることがまだ理解できていません。 弟子たちのところへ行き、そのことを伝え、弟子たちも同じ場所(墓)へ戻りましたが、イ エスは、墓にはいませんでした。これは、彼らが大いに喜ぶことなのです。神はその約束を 守られました。イエスは死に勝利をしたのです。空(から)の墓がその証拠なのです。 しかし、弟子たちも、そのことがまだ見えていません。何が起こっているのかよく分かって いないのです。聖書が言うとおり、彼らは、イエスが死人の中からよみがえるという聖書を、 まだ理解していなかったのです。彼らは困惑して家に戻りました。まだ、空(から)の墓と イエスのよみがえりが結びついていません。 このことは、まさに、今の世界の状況も同じことです。神が今何かをなされているというこ とを私たちは知っています。私たちは、神のご性質、神が私たちを愛しているということを 知っており、神がこの世を愛されているということを知っています。その証拠として、神は 御子を遣わされました。その証拠として、御子は私たちのために十字架で死なれました。だ から、私たちは神が世を愛されていることを知っています。神は良き方であることを私たち は知っています。神は何かをなされています。私たちは、神が何をなされているかについて、 考えて思いを巡らすことはできますが、神が何をなされているかを、頭の中で結びつけるこ と(理解すること)ができません。まだ、はっきり見ることができません。私たちもマリヤ や弟子たちと同じく、起こっていることを理解しようとする過程の中にいるのです。 ここで、私たちが理解すべき重要な点は、神は私たちを見放さないということです。マリヤ や弟子たちにとっても、彼らの神は、マリヤを一人、その場に見放すことはしませんでした。 マリヤはさらに困惑してたたずんで泣いていたため、神は、恵みとあわれみのゆえに、彼女 へ手を差し伸べ、彼女の理解を助けるため、彼女に語りかけたのです。 はじめに、神はマリヤに御使いたちを遣わしました。彼らは、栄光と力ある御使い達でした。 この聖書箇所で、彼らのはじめの問いかけは、なぜ泣いているのですか、という問いであっ たとあります。新しいことが始まっているのに、なぜ泣いているのですか、と。 ルカの福音書第 24 章 5~7 節によると、御使い達は、またこのように問いかけたと記して あります。

「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よ みがえられたのです。」 マリヤ、新しいことが起こっているんだよ。一緒に涙を拭って、それを見よう、と。 神は、栄光ある御使い達を遣わし、マリヤに手を差し伸べたのです。御使いを見ると、誰で も、膝をかがめ、ひれ伏してしまいます。 しかし、御使い達が目の前にいても、マリヤは、もとの悲しみの中へと戻っていってしまい ます。だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです、 と。 ここで、やはり、また、イエスは彼女をそのまま見放さないのです。 そこで、イエスは、その優しさと愛のゆえに、ご自身がマリヤのもとへ行きます。よみがえ られたイエスが、です。彼女の新しい未来への希望の象徴です。イエスは、御使い達と同じ ことを語ります。なぜ泣いているのですか、マリヤ。わたしはここにいます。わたしを見な さい。わたしは死に勝利したのです。わたしは新しいいのちを世に与えに来ました。あなた が進むべき道を明るく照らしているのだよ、マリヤ、見なさい!と。 それでもマリヤはまだ見えていないのです。まだ、その涙を通して見ているのです。イエス が彼女の目の前に立っているのに、まだ、イエスがよみがえられたことが理解できていない のです。 しかし、イエスはマリヤに恥をかかせることはしないのです。恵みと愛をもって、ただ、彼 女の名前を呼んだのです。マリヤ、と。 今、状況(物事)が理解できていなくても良いのです。今起こっていることが見えなくても 良いのです。マリヤのように物事のつながりがわからなくても良いんです。 でも、理解しなくてはならないことは、混乱の中で、あなたは一人じゃないということです。 神は決して私たちを見放しません。神は決して私たちを見捨てず、見放しません。 混乱の中で、神は私たちに手を差し伸べてくれます。このような時にあって、神は、マリヤ にしたように、何度も私たちに手を差し伸べているのかもしれません。私たちは、マリヤの ように、困惑して、圧倒されてしまい、そのことが見えなくなっているのかもしれません。 私たちの目は、涙のゆえに、語りかけてくださっている方が見えていないのかもしれません。

そうであっても、神は私たちを離れていくとはしません。実のところ、神は、まさに今、あ なたの目の前に立っておられ、あなたの名前を呼んでいるのかもしれません。私たちが、よ みがえりであり、いのちである神を、そのとおりに見ることを望んで。神が既になされたこ とと、これから神があなたのうちになさることが見えるように。今のつらい、厳しい状況(灰 のように思えること)からいのちを与えるために。神はあなたの名を呼んでいます。神は、 あなたが、悲しみの中から、神を見ることを待っています。そして、神は、あなたが見える ようになるまで、あなたの傍らに立っておられます。 なぜなら、それこそ、イエスがマリヤにしたことだからです。傍に立ち、彼女の名を呼んだ のです。 私にすがりついてはいけません。 しかし、興味深いことは、イエスがマリヤに望んでいたことは、彼女が、以前の状態に戻る ことではありませんでした。 突如、マリヤは何が起こったのかが分かり、大きな喜びに満ち溢れたのです。そこで、彼女 はイエスにすがりついたのです。もう離さないように、と。イエスがもう離れていくことの ないように、と。二度とイエスを離さないようにと思ったかもしれません。以前のように生 きることがまたできると考えていたかもしれません。 しかし、イエスは何と言いましたか。わたしにすがりついてはいけません、と言いました。 マリヤ、そうではないんだよ、と。 私たちは、後ろ(過去)へ戻っていくのではなく、前に進んでいくのだ、と。わたしは、ま だ去っていないが、これから、父のもとへ戻るのだと。だから、わたしにすがりつくのでは ないんだよ、以前の生き方へ戻ることはしないんだよ。ものごとはこれから変わるんだよ、 あなたはこれから新しい生き方をするんだよ、と。 私たちは、この新し生き方とは聖霊のことだと分かっています。弟子たちは聖霊を受け、彼 らには、全く新しい世界が開かれていたのです。以前は、イエスとともにいたのですが、そ れからは、神が彼らのうちにおられる(神が彼らのうちに臨在される)ことになったのです。 以前の考え方や生き方から、聖霊に導かれる新しい生き方へと変わったのです。それは、空 (から)の墓から始まりました。イエスがまず、死から新しいいのちへと移ったのです。肉

において蒔かれ、栄光のうちに引き上げられたのです。へブル人への手紙によると、イエス は私たちの先駆けであり、私たちの道を明るく照らしてくださいます。それは、私たちがイ エスに従い、死からいのちへと移るためです。 私は、今の状況における神のご意思について、分かりません。神のご計画が分かるわけでも ありません。しかし、神の私に対する計画は、後ろ(過去)へ戻るものではないということ を、私は知っています。神はいつも、前へ、新しいものに進むように私を導いてきました。 何か今までと違うものへ、と。もしかしたら、Covid-19(コロナウイルス)が去ったあと、 私たちは、新しい生き方、お互いの新しい関係、また、神との新しい関係へと導かれている のかもしれません。 1 もしあなたが今悲しんでいるのなら、それは恥ずかしいことでないですし、隠すことで もないです。ただ、家族とともに悲しめば良いのです。私たち(教会)は、そのためにい るのです。 2 もしあなたが、ものごとを見ることに苦戦しているのなら、イエスがあなたとともにお り、あなたの名を呼んでいることを覚えていてください。 3 もしあなたが、何か違う、何か新しいことへ導かれて(呼ばれて)いるなら、イエスに 従ってください。 アーメン




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