Japanese Translation: Ezra 1 (Message: Pastor Robinson / Translation: Aki Amemiya)

エズラ記1章

神はご自身のしておられることをご存知です

エレミヤによって告げられていた

歴史的な背景として、 この書の出来事はユダがバビロンに捕囚された後に起きました。イスラエルの王国は、北はイスラエル族、南はユダ族という二つの王国に分かれていましたね。この時、北の民族にはたくさんの有名な預言者たちが送られてきたにも関わらず、神に従う王は誰もいませんでした。そのため、ユダよりも前に、北の王国が先に捕囚されました。ユダのほうは、神に従う良い王たちと、従わない悪い王たちの両方が混ざっていましたので、捕囚されるまでにより時間が掛かりました。 しかし最終的には彼らも引いて行かれたのです。

さて、ここで私たちは、もし神が彼らを愛していたのなら、なぜ偶像崇拝の地に送られるのだろうかという疑問を抱きます。神は時に、私たちが欲しがるものが私たちに必要なものではないことを教えるために、あえて欲しいものを与えることがあります。イスラエルとユダは長い間、偶像崇拝に明け暮れていました。 バビロニアの文化を隅々まで愛し、その面影を模倣しようとさえしていました。そこで、ついに神が「そんなに偶像を愛し、バビロンを愛しているのだから、手に入れたらよい」と言われるところまで来てしまったのです。そして、彼らは次の70年間、バビロンで捕囚生活を送りました。神がおられない生活、偶像に溢れた生活がどんなものであるかを経験しなければなりませんでした。少しの間、火の中で生きることになったのです。

しかし、神は火の中に投げ込んだまま私たちを忘れてしまうようなお方ではないということも、理解すべきです。陶器師が窯の中に作品を放り込んで忘れたりはしないのと同じです。 むしろ、その陶器がどれくらいの熱量に耐えられるか、どれくらいの時間火にかければ、それがなるべき作品になるかを知っているのです。

私たちにとっても、今はまさに火の中に取り残されたように感じることがあります。この2年間はコロナに悩まされ、最近では感染者数が急上昇し、学校は休校になり、職場も閉鎖されました。 長い2年間でしたが、今後もまだ続きそうです。でも、神は私たちを火に入れっぱなしにはなさいません。神は陶器師で、私たちは粘土です。 私たちを火にかけたのなら、その御手は温度に、目は時計に向けられています。神はご自身のしておられることをご存知です。その目的は私たちを破壊することではなく、私たちのうちに働いて作り変えてくださることにあるのです。

そしてこれが、捕囚の間に神がご自身の民になさっていたことでした。彼らは初めから偶像崇拝に悩まされていました。克服できずに苦しんできたその罪を、彼らは自分で振り払うことができず、そこから自由になることができませんでした。そこで、神は彼らを偶像崇拝の地、バビロンの地での生活へと渡されたのです。そして彼らを火に入れた時、タイマーを入れたのです。

70 年のタイマー。

それで、この箇所は1節のこの言葉で始まっているのです。

ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために…

(エズラ記1:1a)

この出来事すべてのタイミングは、すべてエレミヤによって彼らに告げられていました。

まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。

11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。

13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。

14 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』

(エレミヤ書29:10-14)

私たちが大好きなこの有名な聖句が、民を捕囚に送るという神の約束に関係しているのは、とても興味深いですね。 ご自身の民を火にかけているのです。70年とおっしゃっています。わたしはタイマーに目を留めているよ。自分のしていることをちゃんと分かっているよ。あなたがたのために計画を立てているよ。あなたがたの将来のためであり、わたしがあなたがたのうちにそれを成し遂げるよ。 わたしがどうにかするよ、と。

私たちはイザヤ書を学び、エルサレムへの神の目的を見てきました。その都市のための、美しいご計画を。世界中からすべての人々がやって来る場所になること、国々が次のように言いながらエルサレムに行くことを・・・

多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。

(イザヤ書2:3)

そして、偶像崇拝で溢れていたために、彼らがその目的のために役立つことが出来なかったことも。

それで、こうしてここにいるのです。70年間のバビロン捕囚の間に、神の目的に役立つように変えられました。神はご自身のなさっていることをご存知でした。これから約束の地エルサレムへと民が帰還するのを私たちは見るのです。 そして、彼らが二度と悩まされることのなくなった問題が何か、みなさん分かりますか?…それは偶像崇拝です。何百年もの間、士師記の時代から、彼らは行ったり来たり、ぐるぐる回って、いつも同じ古い罪に陥っていました。でも、バビロンの後は…二度と繰り返しませんでした。他の問題で苦しむことはあっても、あの頃の問題はもう二度と起こりませんでした。

神はご自身が何をしておられるかをご存知です。みなさんがどんな問題を抱えているかもご存知です。その火がどれだけ熱いかも、どれだけ長い間そこを通っているかもご存知です。でも、神の御手は温度の上にあり、目は時計に向けられています。神はご自身がしておられることをご存知です。あなたを破壊するのではなく、完成させようとしておられるのです。ご自身の目的に役立つものとするために。

キュロスの霊を奮い立たせた

時は来ました。神は約束を守るために、イスラエルの敵に裁きを下しました。ペルシアを送り込んでバビロンを征服させたのです。ダニエル書の有名な場面が思い起こされます。バビロンの王が宴会を開いていると、手が現れて壁に文字を書き始めました。「メネ テケル ペレス」 誰にも意味が分からなかったのでダニエルが呼ばれました。彼はこの頃にはだいぶ老いていましたが、その文字の意味を解き明かして、王が秤で量られたが不足していたという意味だと伝えました。その夜、ペルシア軍の手によって、王は国を失うことになるのだと。そして、まさにその通りのことが起こりました。ペルシアが侵攻してバビロンを占領しました。ここに書かれているキュロス王が乗っ取ったのです。

さて、キュロスもまた、偶像崇拝の国で偶像を崇拝する王でした。ペルシアも、バビロンと同じように独自の偶像を持っていました。

しかし、はっきりと分かるのは、彼のうちに神が働いておられたことです。

…主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。

(エズラ記1:1b)

お分かりでしょうか。すべての王にまさって、かつて存在したすべての支配者にまさって、王の王がおられるのです。それが真実だと信じるかどうかは問題ではありません。神はすべての上におられる方なのです。

ネブカドネザルとバビロンの軍勢がエルサレムを占領しに来た時、自分から来たのではありません。彼らはそう思っていました。彼らは自分たちの目的と計画を、自分たちで達成したと思っていましたが、そうではありませんでした。彼らを召してそうさせたのは、神だったのです。

主は遠く離れた国に旗を揚げ、地の果てから来るように合図される。すると見よ、それは急いで速やかに来る。

(イザヤ5:26)

私は神の語りかたが大好きです。神は彼らのために口笛を吹いています。主人が犬のために口笛を吹くように。あるいは鷹匠が鳥のために口笛を吹くように。神が彼らを呼び寄せると、彼らは自分の楽しみのためではなく、神の呼びかけに応じてやってきたのです。ネブカドネザルはそのことを後で知ることになります。

そして今、神はご自身の目的を成し遂げるために、キュロスや諸国の王たちの霊を奮い立たせています。約束されたとおりに、民をエルサレムに送り返すのです。すべての国、指導者、王の上に、王の王がおられ、彼らは知っていようがいまいが、その目的を成し遂げているのです。

こうしている間にも、ロシアはウクライナに対して動き始めています。別の指導者は、自分の目的と計画を達成しようと考えています。何が起こるかわかりません。そして、紛争に巻き込まれている人たちのために祈り続けるべきだと思います。しかし、私が知っているのは、ロシアの意志ではなく、主の御心がすべてのことのうちに成し遂げられるということです。彼らがそれを知っていようといまいと、神は彼らの上におられ、国々を動かしておられるのです。

このように、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせました。 彼を奮い立たせてバビロンを占領させたのも、民を故郷へ送り出させたのも、神だったのです。神はご自身がしておられることをご存知なのです。

この方が私を任命された

そして、ここに彼の宣言があります。

「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。

3 あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。

(エズラ記1:2-3)

これもまた、大変興味深いことです。 ペルシアの王キュロスは、偶像崇拝者であったのに… 自分ではなく、主が、彼に地のすべての王国を与えてくださったことを理解するようになりました。

さて、聖書で「LORD」とすべて大文字で書かれている時は、神の真の名前「YHWH」が使われていることを意味します。ユダヤ人がこの名前をあまりに神聖なものと捉えていて、完全に書き記さなかったので、私たちはこれをどう発音していいかも正直わかりません。母音が記されなかったので、私たちはそれを推測するしかないのです。エホバだと言う人もいれば、ヤーウェと言う人もいますが、わからないのです。私自身はヤーウェを使う傾向があります。

しかし、重要なのは、キュロスは自分の神が地のすべての国々を与えたとは主張していないことです。ヘブライ人、アブラハム、イサク、ヤコブの神である、ヤーウェが与えたのだと言っているのです。この時点で、彼は神について非常にはっきりと理解していました。私の疑問は、彼がどのようにしてYHWHを知ったのか、ということです。誰が彼にYHWHのことを教えたのでしょうか?

聖書には書かれていませんが、私が思うには、彼にYHWHのことを伝えるのに最適な立場にいたのは、ダニエルでした。彼はペルシアがバビロンを征服してキュロス王がやって来たとき、そこにいたのです。キュロスに神について話すのに完璧な場所にいたはずです。そして、神がそのようにダニエルを用いられたのは、これが初めてではありません。

ダニエルが捕らえられバビロンへ引いて行かれたときから、神はダニエルをこの目的のために用いておられたのです。ダニエルを捕囚した国の王たちにご自身を現すためです。ダニエルはネブカドネザルに仕えました。そして、その地が占領された時も、同じようにキュロスに仕えるために用いられたかもしれません。

そして、聖書を知り、イザヤ書の預言を知っているダニエルは、神殿を再建するように神から命じられたことをキュロスに知らせるのに、最適の場所にいました。

どういうことかというと、それは、彼が命じられた場所だったのです。キュロスは生まれる170年ほど前に、イザヤ書の中で、神殿を再建するよう神から命じられていたのです。

キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」

(イザヤ書44:28)

ここでもまた、神はご自分のしていることをご存知でした。神は神殿を建設させるために、その170年前にキュロスを召しています。実はその理由で、イザヤ書の後半を認めていない人たちもいます。イザヤが書いたものであるはずがない、というのです。イザヤは二人いて、もう一人は後世の人、または弟子たちがこの本を完成させたに違いない。そうでなければ、どうやってキュロスの名を知ることができたのか、と。それは、神がそれを知っていて、幻の中でイザヤに告げたからです。これ以上の説明は不要でしょう。ただ、聖書が神のことばであることの証明にすぎません。そして、神は知っておられるのです。

キュロスがバビロンを攻撃していたにもかかわらず、神は彼がイザヤの預言で召されているという奇跡を知っている者を彼に遣わしました。真理を明らかにする絶好のタイミングに、ダニエルをそこに置いたのです。およそ完璧には見えない異国での捕囚の地に。

私たちがいる場所に、そして向き合う人々に、間違いはありません。私たちは、それが間違いだと思いたいのです。なぜなら、それが努力しなくてもよいという良い言い訳になるからです。こんなことでは、どうやって神に仕えることができるのか?こんな所で、こんな人たちに囲まれて、どうやって神に仕えることができようか?それは間違った場所であり、間違った時だと思いたいのです。

私は、イエスが荒野であわれみに突き動かされて人々を教えておられたとき、弟子たちが言ったことを思い出します。

夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは人里離れたところですし、時刻ももう遅くなっています。村に行って自分たちで食べ物を買うことができるように、群衆を解散させてください。」

(マタイの福音書14:15)

イエスは、あわれみのうちに、群衆への奉仕を続けようとされたのです。しかし、弟子たちはそのあわれみを持っていませんでした。ここは荒涼とした場所で、一日も終わります。彼らを解散させましょう。これは彼らに奉仕を続けるような時でも、場所でもありません。彼らを解散させて、食べさせましょう。しかし、弟子たちにとっては人々に仕えるのにふさわしくない場所と時期でも、イエスにとっては正しい場所だったのです。そして、その間違った場所と時間の中で、5000人を食べさせるという奇跡を起こして、人々への奉仕を続けたのです。彼らがそこにいたのは間違いではありませんでした。正しい場所であり、正しい時だったのです。

ダニエルがいたところも、間違いではありませんでした。彼が捕囚の間にそこにいる人々に仕えたのは、適切な場所と時期だったのです。

私たちがいる場所と囲まれている人々に間違いはありません。神はしておられることをご存知なのです。みこころが成されるための目的を持って、神は私たちを今いる場所に置き、そこにいる人々を与えたのです。

そして、神がダニエルをそこに置かれたのはキュロスにYHWH を伝えるためだけではなく、キュロスをそこに置かれたのは約束通りに民を故郷に送り返すためだけではありませんでした。神は彼らをから手では返されなかったのです。

金銀での支援

なぜなら、キュロスは宣言をこのように結んでいます。

あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。その者がどこに寄留しているにしても、その場所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んで献げるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者を支援せよ。』」

(エズラ記1:4)

キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して、自分の神々の宮に置いていた主の宮の器を運び出させた。

8 ペルシアの王キュロスは財務官ミテレダテに命じてこれを取り出し、その数を確かめさせ、ユダの首長シェシュバツァルに渡した。

(エズラ記1:7-8)

そこで、神はキュロスを通して民を送り返し、神殿を建てさせようとされました。それだけでなく、神はそのための手段も与えてくださいました。資金や、バビロンの王によって奪われた神殿の品々を与えてくださったのです。

チャック・スミス師がよく言っていたように、「神が導くところに、神は与えてくださる」のです。神は、私たちが召されていることを行うために必要なものを与えてくださいます。

しかし、私は、神様がすべてをあらかじめ用意してくださったのは、とても恵み深いことだと思います。神がすべてを前もって与えてくださるというのは、ある意味では真実ですが、常にそうとは限りません。

実は、通常はその逆なのです。通常、神はすべてを前もって与えてはくれません。100万ドルを与えて、それから教会を始めなさいと言うわけではありません。神はあなたに行くようにと呼びかけ、あなたが向かっている間に与えてくださいます。あなたが水に足を踏み入れるその時に水を分けてくれます。あなたが日曜学校のリーダーとして一歩を踏み出すとき、あなたを癒してくださいます。異国での宣教のためにあなたを召された後に、備えてくださいます。

しかし、あらかじめすべてを与えてくださるにせよ、私たちが一歩踏み出した後に与えてくれるにせよ、どちらにしても、神が私たちに必要なものを確かに備えてくださることに間違いはありません。

そして、それはみなさんにとって必要なものには見えないかもしれないともお伝えしておきます。それは、あなたが巨人と対峙しているときには石ころかもしれません。王を前にしているときは、幕屋の杭かもしれません。しかし、どのように見えたとしても、必要なものを与えてくださるのです。

そして、民を捕囚に送ったのと同じ神が、再出発に必要なすべてのものを持たせて、彼らを時にかなって導き出されたのです。

まとめ:

神はご自身の民をバビロンに送られました。しかし、そこで彼らを見捨てたわけではありません。神の目は時計に向けられていました。民とエルサレムのために持っておられる美しいご計画に、彼らを役立つ者とするためには何が必要かを知っておられたのです。そして時にかなって、神は彼らを救い出されました。時にかなってキュロスを召し、彼に仕える者としてダニエルを、最適な場所には見えないようなその場所に置かれました。そして、神は民を、召したことを行わせるために必要なものと共に、送り出されました。

神はご自身がしておられることをご存知です。 私たちが悩むとき、国々を導くときに、私たちを置かれるその場所で、私たちに与えるものにおいて、神はしておられることをご存知なのです。

アーメン。




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