Japanese Translation: Genesis 14 (Translation by Ronald Akatwijuka)

Updated: Nov 11, 2020

恵みと感謝 Grace and Gratitude

創世記14

恵みと感謝

Intro: これまで困難な状況に陥ったことはありますか? 自分自身の誤った判断によって、大きなトラブルに 陥ったことがありますか? 今日学ぶ箇所では、アブラムとロトがまさにその状況 のただ中に置かれます。 その場所に天幕を建てたロト は、戦いに巻き込まれて、捕らえられてしまいます。

アブラムはそれを聞いて、ロトを助けに318人の男を招 集して戦いに向かいます。しかし、彼らは自分の判断に より難しい状況に陥ってしまいましたが、その中で神様 の恵みを受けました。神様が背後で働き、この困難な状 況から抜け出すことができました。その後、アブラムは 感謝のしるしとして聖書で初めて1/10を捧げました。

神様の恵み 今日の箇所は戦争から始まります。4人の王様と5人 の王様の戦争です。そして4人の王様たちが戦いに勝 利します。5人の王様たちが逃げている間、ソドムと ゴモラの王様は天然アスファルトの穴に落ちてしまい ました。興味深いことは、同じ天然アスファルトがバ ベルの塔の建設で使われていました。人間がプライド を示すために建設で使用した天然アスファルトと同じ 材料でつくられた穴に落ちてしまったのです。

敗者たちが逃げていく中で勝利をおさめた王たちはす べて奪い去られました。ソドム近辺の地で略奪がおこ なわれていた中で、その地に住むロトも巻き込まれて しまいます。 ソドムの地を好んでいたロトですが、初めてトラブル に直面しました。このロトのトラブルはソドムへの愛 ゆえに起こったことであり、このあと詳しくお話しし ますが、最終的に家族とすべての財産を失ってしまい ました。

そのとき、アブラムは自分の親戚であるロトが捕らえら れたことを聞きました。相手は4人の王様ですから、そ の軍隊も当然、数が多いであろうと推測できます。ロト を助けるには、相当の軍隊を準備する必要があるでしょ う。そして、それは5人の王たちに勝利した軍隊で、か なり強い軍隊といえます。

アブラムは何人の男を集められるでしょうか? この状況でアブラムには何人の兵士を召集できるでしょ うか? 318名です。訓練を受け、戦いにすぐ出て行ける318人 もの男たちを訓練し、備えていることを注目したいとこ ろですが、しかし、実際には戦いに勝った4人の王たち の軍隊に相対するにはかないません。

それでも、アブラムは戦いに向かい、ロトを助けにい きます。 ここで注目してもらいたいのは、どこにも神様が命じ たとは記載されていません。神様がこの戦いでアブラ ムの勝利を約束している箇所はありません。 聖書の他の箇所では、勝利を与えるケースは見られま すが、この箇所ではそうではありません。

: ギデオンが33,000名の男を集めて戦いに向かおう としたとき、神様はその人数を300名に減らすように 命じて、勝利を与えました。その時は、神様が約束し たことで、ギデオンが信仰によって従ったときに勝利 を与えられました。 しかし、今日の箇所の状況はそれとは異なります。神 様は何も約束をしていません。アブラムは自分の判断 で行動します。4人の王たちの軍隊に、318人の男で 戦いにいきます。この難しい状況の責任は、すべてア ブラムにあります。

多くの場合、私たちの行いが原因で起こったトラブルの 中で、神様を攻めたことがあるのではないでしょうか? 神様はなぜ私にこのようにされるのか? もちろん神様が私たちに試練を課すこともあります。 信仰のテストとして、試練に直面することもあります。 そして、罪深いこの世の中にいるからこそ直面するトラ ブルもあります。病気や災害などがそう考えられます。 しかし、多くの場合は、私たちの判断によってトラブル に直面するといえるでしょう。

例: 私が3歳の時に父親を亡くしました 私が父の死に ましたが 神様をせめることではありません。 怒りを覚え、神様に「なぜ」と問うことは簡単です。 しかし状況を良くみると、父のいくつかの選択が死を 招きました。毎日タバコ4箱も吸っていれば、その習 慣はわるい結果につながります。それが大きな原因と なって、父は私がまだ3歳のときに、天国に召されま した。神から与えられた自由の中で父自身が選択した 習慣ですから、神様をせめることはできません。父が 亡くなったことは悲しく、そうならない事を望んでい

多くの場合は、神様が問題を起こすわけではありませ ん。しかし私たちが原因の問題であっても神様は恵み によって助けてくださいます。それは神様が良いお方 であり、あわれみ深く、いつくしみ深いからです。 肉の父を失っても、私の人生の中で、「父」がいな かったことはありませんでした。おじさんから、ユー スパスター、ホライゾンの宣教師であったり、「父」が与えられています。今日までこの備えがつづいてい るのは、神様の恵みによってしかありえません。

私が27歳の時に母親が亡くなった時神様をせめる 、、 ことは簡単でした。なぜそんな若さで母からひき離され るのか。孫の顔を見せていない!なぜそうなされるか? しかし、このこともよく考えると、母が選択したことの 中に早くに命をおとしてしまった要素があります。なぜならアルコール中毒が原因だったからです。人間の体が 耐えうる量以上のアルコールを飲んだことは彼女の行動 です。もちろん、生きていてほしかったし、母がいない ことは寂しいですが、母のその行動が問題を起こしてし まいました。

しかし、神は良いお方です。人間の誤った判断の中で も、神様は恵みによって助けてくださいます。暗い状況 の中であっても、神様は家族を一致に導いてくださいま した。母の家の掃除に行ったときに、20年も会うこと も会話もなかった親戚が手伝いに来てくれました。一緒 に床から天井まで清掃を手伝ってくれたのです。その日 以降、親戚と和解し、今もアメリカに帰ったときは母方 と父方の家族に会って話をすることができるようになり ました。

人間が原因のトラブルが起きたときでも、神様の恵みが 働きます。それは神が良いお方だからです。 ロトはソドムの地付近に居住することを選びました。 それによって、戦いに巻き込まれて神様が助けなければ なりませんでした。そこからロトは学ぶことをせず、ソ ドム近辺の地に戻ります。それでもロトを助けに、神は 助けを送ってくださいます。人間が起こしたことであっ ても神様は恵みをあらわしてくださるのです。

アブラムについても同じ状況だったいえます318人 。 の男で戦いに出て行ったのはアブラムの選択だったと 思います。同じように神様はその状況からアブラムを 救ってくださいました。神様の恵みなしでは、アブラ ムが戦いに勝利することはありえなかったのですが、 実際に勝利しました。 夜に出発し、318人をチームにわけて敵を攻撃しまし た。アブラムは牧者だったので戦い方の知恵はなかっ たと思われます。しかしこのような行動ができたのは 神様の備えといえるでしょう。

神様はギデオンにも同じく知恵を与えて勝利させまし た。ギデオンも牧者だったのですが、自分の兵の数を 隠して、敵に多くの軍で囲まれたように感じさせて恐 怖を与えました。戦い慣れた兵が考えるような技です ね!アレクザンダーやハンニバルが考えたような技に 聞こえますが、神様の備えなしでは、ただの牧者で あったギデオンが一体何ができるでしょうか。

しかし、どのような戦略であれ、その人数でアブラム は勝てるはずがなかったです。戦いはそう簡単ではあ りません。1回でアブラムはそう簡単に勝てるはずが なかったです。時間がかかったはずです。しかしアブ ラムは318人の男でたった1回の戦いで勝利を得たので す。15節にあるように、敵を追いかけてダマスコの北 にあるホバというところまで追跡しました。

どうしてこのことができるのでしょうか?神様の御手 が働いたとしか考えられません。 そして神はギデオンに勝利を与えるため、兵の人数を 減らしました。なぜかというと、その勝利は神様が約 束されたということを明らかにするためです。 アブラムが召集した兵士の人数からも同じことが言え るのではないでしょうか?

神様は、恵みと救いの御手によって、私たちの誤った 行動からおきた困難の中から、ロトとアブラムを救い ました。神様の働きによって、二人の命が助けられた だけでなく、4人の王の軍隊が略奪した財産も取返し ました。 この後、アブラムの心をあらわす素晴らしい行動をみ ることができます。この困難のあとのアブラムの行動 をみてみましょう。

アブラムがすべての物の1/10を捧げました 困難な時にとる行動が人間の本質を示すとよく言われて いますが、困難の後の行動も同じように人柄があらわれ ると思います。

ルカ1711~18 、。 11 イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガ リラヤとの間を通られた。 12 そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に 出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 13 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわ れんでください」と言った。 14 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのとこ ろに行って、からだを見せなさい」と言われた。そし て 行く途中で彼らはきよめられた

15 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマ リヤ人であった。 17 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたの は、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいる のか。 18 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他 国人のほかにはいないのか

困難に直面したときに神様に助けを願うのは誰でも当 然にあると思います。救いを求めます。病人の物語の 箇所も、アブラムとロトと同じように、神様の恵みに よって、救いを見ることができます。神様がアブラム とロトを救ったのと同じように、イエス様はこの10人 の病人を救いました。その後の行動に注目すると彼ら の神様に対する心のうちがよくわかります。

10名の病人が癒されましたが、それぞれの道に行って しまいました。しかし、その中から一人は、いやされ たことがわかった時に、イエスのところに戻って感謝 しました。 それは、健全な関係といえるでしょう。

健全な人間関係は 他の人によって支えられると同時 、 に、自分も他の人に仕えなければいけません。良い人 間関係の中では、その”ギブアンドテイク”が当たり前 のことではありますが、中でも最も重要な言葉は何だ と思いますか? 「ありがとう」です。その場の「ありがとう」ではあ りません。この病人のたとえからみるように、たち止まって考えたあとにイエス様のところに戻って感謝し にいきました。心からの感謝の言葉は、最も力強い言葉です。

: 最近、我が家ではホームスクールをしています。 子供が3人いれば、それは簡単な事ではありません。 妻が妊娠中である事も考えると、その週に予定してい た科目をすべてカバーできないことも多々あります。 カバーできなかった時は、妻が一番下の子と遊びなが ら、私が上の二人の授業をします。ある日、三日間分 の授業を1日でやりました。かなり大変でした。子供も疲れて文句を言い、私も疲れました。1日が終わっ た時は、こどもも含めて全員疲れてしまいました。

夜 子供たちを寝かせた後に 妻から「今日本当によ 、、 くやりました。こどもの面倒をみるのはとても大変な のに、その授業をするために休みもとってくれて、本当にありがとう。」その感謝の言葉を聞いて、とても 愛を感じました。彼女がそこまで感謝しなくても良 かったのですが、子供たちの授業も、子育ても私は親 として責任あります。それでも、その「ありがとう」 という言葉はとても力になりました。自分の責任では ありますが、それでも感謝されたときはとても大きな 喜びがありました。これは感謝の力です。

癒された病人に対してイエス様の質問はとても明確 、 です。 17 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたの は、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいる のか。 18 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この外 国人のほかにはいないのか」。 この一人の感謝の行動は、彼の心を現したのと同じよ うに、感謝しなかった9人の心も、その行動で彼らの 心がわかります。

“ギブアンドテイク”がない関係は、どんな関係になる と思いますか? 一人がいつも与えてばかりしていて、もう片方から”与 えるもの”が一切ない関係はどうなりますか? 感謝のない関係、「ありがとう」の言葉がない関係は どんな関係でしょうか? 冷たい関係です。 「ありがとう」がない関係は、何を意味するか? 助け合うような関係ではありません。

一方的に”もらう”の側が、”与えられるもの”に値するも のだから、と考えていたらどうでしょうか? 何も言わないから傷つけていない、という考えは違い ますね。何も言わない事は、残りの9人が感謝の行動 をとらなかったのと同じように、多くを物語っている といえます。

その接し方は、与える方の良心にも傷を与えます。全く感謝されないとき、あなたはどう感じますか? 利用されている、愛されていない、とか、そう考える のではないでしょうか?

例:他の人のために、ドアを開けたときでさえ私はそ のように感じます。もちろん「ありがとう」と言って くれる人もいます。しかし全くお辞儀することもな く、当たり前のことをしてもらったかのように、何も 言わず行く人もいます。私はあなたの召使ですか?と 感じることもあります。その人のことは全くしりませ んが、もし知っている人であれば、なおさらがっかり するのではないでしょうか?傷つくのではないでしょ うか?

私たちはどうでしょうか。神様ににそのような態度を とっていませんか? 困っている時に、「神様!」と祈っていながら、助け てもらった時、「終わった!良かった!」だけで、感 謝をあらわさなかったことがあるのではないでしょう か?神様の恵みに受けるに値するから、といって感謝 を忘れていませんか?助けてもらった時に、神様を忘 れていませんか?

10人のうち 9人の病人はそうでした 、。 創世記に戻ると、ロトにはその9人と同じ態度をみる ことができます。それは、戦いから戻る途中に、メルキゼデクという偉大な王に会います。 メルキゼデクは「義の王」という意味です。そして聖書 では「平和の王」とも呼ばれています。メルキゼデクは 「義と平和の王」であり、新約聖書でイエスが弟子の前でおこなったように、聖書でいと高き神の祭司と呼ばれ るメルキゼデクはパンとぶどう酒をアブラムにもってき ました。

この説明から メルキゼデクはイエスの事をあらわし 、 ているとも考えられています。義の王、平和の王、い と高き神の祭司であるメルキゼデクはアブラムと交わ りをもちました。ヘブライ書ではメルキゼデクの誕生 や死の記録がなく、永遠に祭司であると記されていま す。これらすべてはイエスをあらわしており、その証 拠として、ヘブライ書では、イエスはユダ族出身の祭 司であり、レビの系統につながるのではなく、メルキ ゼデクにつながると書いてあります。永遠に祭司です から、それがメルキゼデクにもつながります。

メルキゼデクはイエス様そのものだという説もありま す。イエス様が誕生される前に現れた “キリスの顕 現(神が人間の形をとって現れる)”ということといえ ます。このメルキゼデクがイエス様ご自身だったか、 あるいはイエス様を描いた別人であるのか、私にはわ かりません。 そのテーマについてこのメッセージの後で話 をしても良いかと思います。

しかしもっとも重要なのは、神様が強く働いたというこ とです。神様はロトとアブラムを救いました。そして、 神様はこのメルキゼデクをロトとアブラムに送りまし た。メルキゼデクは彼らを祝福し、その勝利は神様が与 えてくださったことをあらわしました。 ロトはアブラムと一緒にいました。戦いから戻ったとき にこの出来事があったからです。しかし一緒にいてもそ の命が救われたロトが神様に対して、あるいはアブラム に対して感謝をしたという記録は全くありません。

しかしアブラムの応答は聖書に記されていますそして 。 その行いから神様に対する心を見ることができます。 20節ではアブラムがすべてのものの1/10をメルキゼデク に贈りました。これは聖書で初めて1/10を捧げたと記載 された箇所です。すべての1/10です。メルキゼデク はそ れを求めていませんでした。アブラムがこころから捧げ たのです。なぜアブラムがそうしたのでしょうか?これ はアブラムの応答です。アブラムは自分が持っている財 産のすべては神様から与えられたことを知り、祭司であ るメルキゼデクに捧げました。

もそのトピックが悪用されるケースがたくさんありま す。 しかし、本日の箇所から本来の意味を理解することが できます。神様は備えをして下さることを認識するこ とです。癒された一人の病人が感謝した事と同じよう に、私たちから神に対して感謝を表わすことです。私たちが持つすべてのものが神様から与えられていま す。それを理解しているので私は神様に対して、その一部を感謝として捧げ、受け取って下さいという感謝 の祈りを捧げます

そして、この捧げものは自由でないといけません。そ れは、神様は私たちからの贈り物自体は必要としてい ません。つぶやきながら与えるプレゼントで相手を喜 ばせることができるのでしょうか?神様への捧げもの も同じです。その中身よりも、捧げる人の心です。 神様は、私たちの財産を、私たちの心があるところに 捧げることをご存知です。

神様は私たちの財産よりも、捧げものを通して私たちの 心を望んでいます。感謝の関係を持ちたいからです。ア ブラムとの関係と同じような関係を望んでいます。一人 の病人との関係と同じ関係です。ロトや残り9人のよう に、与えられた側がその恵みに値するかのような態度を 示す関係を求めておられません。

最後に:ロトとアブラムは自分たちの行動によって困 難に陥ってしまいました。神様は二人に恵みを与えて救いました。ロトは、その救いに対して感謝を示さな かったのですが、一方でアブラムは感謝をあらわしま した。 そしてアブラムの感謝は、神様への捧げものから始 まったのです。 アーメン





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