Japanese Translation: Genesis 35:1-15 (Message: Pastor Robinson / Translation: Ronald Akatwijuka)

Genesis 35:1-15

Notes

神の声

始めに 誰か、声だけでわかる人いますか?4人の子どもいますがが、何回も泣き声を聞いているので、顔を見なくても誰が泣いているのをすぐわかります。私と妻は、1階で作業をしていても、2階から誰かが泣き出すと、すぐわかります。ああ、長女だ、ああ、ケレブだ、声だけでわかります。

神様を、声だけでわかると言えますか?もし神様があなたに話していたら、「神様だ」とわかりますか?「神様ではない」とわかりますか?

本日の箇所では、ヤコブは神様の声を聞きます。どのような声か、驚くと思います。しかし、最後に、私たちも神様の声はどのようなものか、わかると思います。

創世記35:1-15


立って、ベケルへ行きなさい

前回は、ヤコブの恐怖について見ました。神様から祈りに答えて頂いたばかりの時でした。お兄さんと再会して、エサウが共にセイルに行くように誘っていました。しかし、神様が別の道へ呼んでいました。ベケルへ行くように呼んでいました。

しかし、ヤコブはこのことをお兄さんに言うのは怖かったです。言ったら、お兄さんが怒って彼を殺すことを恐れていたのです。ですので、その恐怖によってヤコブは罪を犯してしまいました。お兄さんに、「ゆっくり行くが、セイルまでついて行く」と嘘をつきました。

今は、嘘をついてしまったので、反対方向へ逃げています。ベケルに行く予定でしたが、そうしたらお兄さんの近くになってしまいます。ですので、北へと進み、神様から呼び出された地からさらに離れて、シェケムというところにたどり着きました。恐怖によってヤコブが行かされた地は良い場所ではなかったです。 シェケムで、ヤコブの娘は性的暴力を受けたが、ヤコブは、周辺からの反応が怖いあまり、何もしなかったのです。ヤコブは何もしなかったので、息子のシメオンとレビが復讐のために町全体の人々を殺したのです。

ここで見ているヤコブは、信仰よりも、恐怖によって動いています。神様に呼び出された地から大きく離れています。娘は暴力を受けています。息子たちは大量殺人者です。かなり悪い状況にいます。


この状況で神様は彼に何と言いますか?神様がこのような悲惨な状況に何とを言うと思いますか?

「あなたはもう良い。あなたとの関わりはここまでだ!さよなら」のようなことを言うのでしょうか?


あなたが失敗した時、頭の中にそのような声を聞くのでしょうか?神様に呼びかけられたタスクに満たなかった時にどのような声を聞こえますか?職場で信仰をあかしするチャンスがあったのに、伝えるのができなかった時、親として厳しい発言をして子どもたちが泣いている時 、結婚生活の中で本当はキリストが教会を愛したように妻を愛するように呼ばれていることを知っていながらも、自分勝手だった時 。妻として、主の中で夫に従うように呼ばれたのを知っていながらも、夫をコントロールしようとしている時に。その時に、頭の中で自分をせめる声を聞くかも知れません。その声を聞いて神様と思うかも知れません。自分を諦めるような声、自分を捨てるような声、あなたは絶望的だ、失敗だと攻めてくる声を聞くかも知れません。しかし、それは神様の声でしょうか?


今日の箇所では、神様の声を見られますので貴重な一例になると思います。


日本ではどうかわかりませんが、アメリカで店舗スタッフとして仕事をするとなると、偽造紙幣を心配しなければいけません。本当に多いのです。ですので、偽造紙幣を識別できる訓練をされるかと思うでしょう。しかし、多くの店長は部下にそのようなトレーニングをさせません。むしろ、スタッフに本物の紙幣の特徴を勉強させます。本物の紙幣の手の中での感じ方とかを教えます。本物がわかれば、偽物も簡単に識別できます。見た瞬間にわかります。


神様の声も同じです。

私たちの頭の中に多くの声が聞こえます。私たちのおかしな考えもあります。ですが、頭の中で考えることはすべてあなただけの考えではないことをわかってほしいです。

ときにはその声は神様からの声です。聖霊があなたに話しているときもあります。神様は私たちの思いと心に語ってくれると私は信じています。私もそのような方法で導きを頂いた経験は数回あります。


例: 日本に伝道師として来る誘導はそのように伝わりました。始めて伝導活動に来た時に、誰かと一緒にお祈りをしていました。すると、その人は泣き出して、神様はその人の心に働いていることは明らかになりました。その瞬間に、私の頭の中で明らかに、「あなたを日本で遣わしたい」メッセージが伝わりました。この経験は一緒忘れません!耳で聞こえる声ではなかったのですが、頭の中で明確で、日本での私の活動の出発点となりました。


ですので、頭の中で聞こえる声は神様の声の場合もあります。聖霊様が私たちに語っている声です。


しかし、私たちに攻めて倒そうとして来る敵もいます。その敵は本当の力を持っていないが、頭の中でやってくる思いの一部は霊的な攻撃と信じます。

このために聖書は私たちに霊を試すように教えています。「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。」第1ヨハネ・4:1。

その違いはどのようにわかりますか?頭の中の思いをどのように試すことができるのでしょうか?紙幣と同じですね。本物を勉強しましょう。神様の声を勉強しましょう。その他敵に声が入って来たときに、直ちにわかるのです。


神様の声はどのようにわかりますか? これは御言葉をとおして勉強できます。聖書です。聖書は神様の言葉です。 長年、多くの人をとおして語られた神様の声は聖書です。珍しいことに、どこを読んでもなじように聞こえます。それは、同じ声が語っているからです。 この言葉を知れば知るほど、神様の声をわかるようになります。

あなたの頭の中の声が聖書と異なる内容であれば。聖書と反対のことを言っているのであれば、それは神様の声ではないことがわかるのです。その時点で受け入れなくて良いことがわかります。


パウロを通して、神様の声は次のように言っています。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。」ローマ8:1。神様の本当の声はそう仰るのです。


私たちに攻めて罪に定める声は神様の声ではありません。

今日の創世記35章箇所では、ヤコブは失敗して、恐怖によって神様から遠くに離されてしまいました。その状況で神様の声は何と言いますか?


創世記 35:1 ときに神はヤコブに言われた、「あなたは立ってベテルに上り、そこに住んで、あなたがさきに兄エサウの顔を避けてのがれる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい」。


綺麗ですね。神様は「君はもうアウトだおしまい」何か言わないのです。ヤコブに「立って、ベテルに行きなさい」と言います。私から離れてしまった。大きく失敗してしまった。あなたは倒れている状態です。しかし、今立ち上がりなさい。私が呼びかけたベテルへ行きなさい。今の状況から悔い改めて従って来なさい。


神様は私たちにも失敗した時に、同じように言ってきます。「おしまいだ、そこに留まっていなさい」、のではなく、「立ち上がって私について来なさい」と言います。聖霊様は私たちに裁きよりも、悔い改めを語ります。この二つはどのように違うのでしょうか? 希望があるかないかです。裁きは、「もう最後だ」、と言う反面に、悔い改めは、今歩んでいる道は間違っているが、方向を変えなさいと呼びかけながら、どんな状況からも、神様に従っていくチャンスを与えてくれます。


立って、ベテルへ行きなさい


神様はヤコブにそのような語ったのです。失敗の中で神様はヤコブにそのように語り、そして私たちにも同じように語ります。その他の声は無視しましょう。

しかし、これまで起こしたダメージはどう処理するの?


テレビンの木の下で


ヤコブの罪によって、家族を多くのダメージに出向かわせてしまいました。娘、息子、家族全体に肉体的、心理的ダメージをもたらしたのです。ヤコブの周りは偶像礼拝がされています。偶像礼拝だけでなく、自分の体にさしてキズ付けて珍しい礼拝の仕方がされています。このような環境は家族にも影響をしています。


ヤコブは悔い改めて正しい方向に向かって行かなければいけないのですが、これまで引き起こしたダメージは」どう処理されるのでしょうか?家族にもたらしたダメージはどうなるのでしょうか?


私たちにも同じような質問です。完全に独立している人間は一人もいません。私たちは神様のイメージで造られたのですが、そのイメージとはコミュニティーです。神様は完全なコミュニティーです。神様は、父、子と聖霊様の完全な三位一体です。そして私たちも、好きかどうかと関係なく、私たちも社会性の特徴をもつものとして創造されています。よって、私たちの行動は良くも悪くも、周辺にいる人に影響します。

私たちの失敗も、罪も、私たちだけではなく、周りの人にも影響してしまいます。神様が私たちに「立ち上がってベテルへ行きなさい」と言って頂いても、私たちが引き起こしたダメージはどう処理しますか?

ヤコブはどうしましたか?


全員を呼んで、一つ一つの偶像を自身のもとへ持ってくるように指示します。偶像だけじゃなくて、イアリングなど偶像礼拝に彼らが使っていたアクセサリーもすべて持って来るよう指示しました。これら、ヤコブの失敗から出てきたものを、彼が集めるが、どのように処理するのでしょうか?どこに持って行くのでしょうか? 聖書は、彼がテレビンの木の下に隠したと言っています。


聖書の中で、テレビンの木または樫の木が出てきた時によく見ましょう。この二つの木が出てくる背景には人が殺されることが殆どです。 多くの時は、死んだ人は樫の木の下に葬られます。35章後半にデボラーが亡くなるが、彼女も樫の木に葬られます。

ヤコブは自分が引き起こしたダメージを集めるが、どこへ処理するのでしょうか?死を意味する木のしたへ持って行きます。


私たちに、この木は十字架のイメージを示してくれます。十字架でイエス様は死にました、その木は私たちの罪の死を描いています。

罪で出てきたダメージは十字架のもとへ持って行かれます。そこに隠されます。 それがキリストの十字架の力です。 すべての罪は、そこに処理されます。そこに、罪から産まれたダメージはすべて処理されます。


有名な聖書の箇所ですが、こう言っています。

[1ヨハネ 1:9 」もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。


十字架で二つのことが得られます。一つ目に、私の罪はそこで許されます。人に対して犯した罪は取り去れます。二つ目に、十字架によって罪の汚れから綺麗にされます。私が罪によって他人を汚したもの、私が罪よって受けた汚れはすべて十字架で綺麗にされます。十字架のもとですべて処理されます。


子どもたちに対して起こしたダメージはどうなるのですか?そのためにもイエス様が死んで下さいました。すべては十字架で処理されるので、私たちはそれらをすべて十字架に持っていくべきです。


妻・夫に対して起こしたダメージはどうなるのですか?イエス様の地でカバーされるので、十字架に持っていきましょう。


神様から離れて陥った中毒はどうしますか?「すべて」の不正の「すべて」という言葉の何がわからないのですか?この人たちは偶像に親しくなっていなかったと思いますか?私たちも現在はまっているようなアイドルは、当時の人たちははまっていなかったと思いますか?人間はそう大きく変わりません。しかし彼らがテレビンの木に持ってきて処理したように、私たちも十字架に持って処理しなければいけません。

本当に素晴らしいことに、十字架は、罪の死だけじゃなくて、私たちに対する罪の力も十字架で死にました。


ローマ 6:6-7」6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

7 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。


ですので、これらすべてを十字架に持ってきた時に、私たちはそれら力で握られた状態から解放されます。それら力から自由にされます。


あなたは加害者より被害者かもしれません。これについては殆どの人は無口です。イエス様が私たちの罪を許して下さることはよく言われますが、罪によって被害を受けた人についてはどうですか?ディナーのような立場の人はどうしますか? 自分に非がないのに被害を受けたのですね。イエス様の十字架はあなたにとっても十分カバーします。すべての罪は十字架で処理されます。私が犯した罪も、被害を受けた罪も、すべてが十字架で消去します。すべての汚れは洗い出されます。罪の力から自由にされます。 どのような罪でも、十字架でそのちからは分解されます。


これは十字架で処理されるので、私たちもこれらすべてを十字架に持って行きましょう。十字架に持って行ってそこで解決させましょう。


犯した罪や被害を受けたものから、私たちは相応しくないと自分をせめることもあります。ヤコブも、「もうここまで罪犯したのでベテル何か戻れるものか」と自分を裁いて諦めることも簡単でした。


ここまで罪犯してしまったので、神様の礼拝ができません!神様に仕えることができません!弟子になれません。


しかし、私に必要な資格は木です。十字架です。イエス様は十字架によってあなたに必要な資格を与えたのです。資格条件に必要な代価はイエス様がすべてお支払いになられたのです。テレビンの木で偶像が葬られるように。ここまでしてイエス様があなたに資格を与えたなら、一体なぜ自分が「相応しくない」なんていえうでしょうか?それは謙虚ではなくて、むしろ高慢です。イエス様よりも自分の罪を上にしています。神様が印鑑を押して承認されたのに、あなたは「不適」と神様に逆らって主張している訳です。神様が清めたと言っているものについて、あなたは「汚れた」としています。


聖書からもう一つ神様の声の例をみましょう。ペテロが食事を布の入れ物で与えられる示しを頂いたとき、神様は何と言われましたか?


[ 使徒言行録10:13-15 」 13 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。

14 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。

15 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。


そこにあなたも含まれます。神様はあなたも清められました。自分を清くないと言ってはならない。自分の中で清くないと言っている声があれば、それは神様の声ではないので無視すべきです。


ヤコブは神様の声を聞きました。「立ち上がって、ベテルへ行きなさい」との声でした。それを聞くヤコブは立ち上がってベテルへ行きました。それまでに多くの失敗をしていました・多くダメージを起こしていました。しかし、それらを木のしたに葬って、ベテルへ行きました。


あなたも、十字架のもとにいれて次へ進みましょう。神様がその罪の先へあなたを呼びかけていますが、今は神様の十字架での仕事に信頼して従う時間です。


あなたの名前はイスラエルとなる


ようやくヤコブはもとから行かなければいけなかった場所に行きました。そして行った時に、神様に当初あった同じ場所に祭壇を造ります。当初お兄さんから逃げて隠れていた険しい時に神様にあった険しい場所です。そこに祭壇を造って、神様に礼拝します。

そこに祭壇を造ったヤコブに神様が再び現れて祝福しました。そして綺麗なお言葉を、彼に言いました。長年前に戦った時に仰ったと同じ言葉を告げました。


[創世記 35:10-12] 10 神は彼に言われた、「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」。こうして彼をイスラエルと名づけられた。

11 神はまた彼に言われた、/「わたしは全能の神である。あなたは生めよ、またふえよ。一つの国民、また多くの国民があなたから出て、/王たちがあなたの身から出るであろう。

12 わたしはアブラハムとイサクとに与えた地を、/あなたに与えよう。またあなたの後の子孫にその地を与えよう」。


長年間違った方向へ進んでいたのに、神様から見れば何も変わっていません。あなたに誓った約束は続きます。あなたを偉大な国にします。この地をあなたに与えます。 生まれながら与えた主権は続きます。これまであなたはヤコブめいたことをしてきたのですが、あなたの名前はイスラエルとなる。あなたは多くの罪を犯したが、私の恵みによって、「イスラエル」の名前をつける。あなたの行動はイスラエルっぽくないのだが、私の前ではあなたの名前はイスラエル。それがあなたのアイデンティティだ!

神様は創造される姿でものの名前を付けます。神様はものの結末を、始めからわかっておられるので、多くの場合は神様は人間を呼び出したとき、その時の状況ではなく、なって行く姿で名前をつけます。


神様はアブラムをアブラハムと呼びました。国々の父。彼はその時そのような状況だったのでしょうか?いいえ、子ども一人もいなかったのです。しかし、正しく国々の父になりました。イサクからイスラエルの父となり、イシマエルからアラブ諸国の父となりました。そして、信仰によって私たちすべての父となりました。 国々の父。神様は彼がなっていく姿を見て名前を付けたのです。


神様あはギデオンを、「偉大な戦士」と呼びました。その時どんな状況でしたか?偉大な戦士でしたか?いいえ!小麦の脱穀をしていて、誰にも見かけられないように静かにしていました!偉大な戦士になりましたか?はい!神様は兵士をリードして勝利を得たのです。彼についても、神様はなっていく姿を見て名前を付けたのです。

イエスは、シモンをペテロと呼びました。「岩」という意味です。当時ペテロは岩でしたか?いいえ、当時は頂点と失敗例の重なりで不安定だったので「岩」と呼べなかったのです。岩になりましたか?はい!彼は教会の土台になって、聖霊様の力によって彼から伝わったメッセージから多くの人は信者となりました。彼も、神様はなって行く姿を見て名前を付けたのです。


ヤコブもイスラエルと呼ばれました。これまではあまりイスラエルっぽくなかったのです。しかし、彼はイスラエルになって行きますか?はい!本日に至って、その子孫はイスラエル人と呼ばれています。なって行く姿で名前を付けられたのです。彼はその名前を聞いて神様にもっと礼拝したいと感じたのです。そして祭壇を造りました。

神様はあなたをどのように呼んでいると思いますか?


これはとても大切です。というのは、神様の声を認識できるもう一つの印です。つまり、神様の前のあなたの名前です。何だと呼ばれていると思いますか?

心の中、神様が何と呼んでいるように聞こえますか?


「罪人だ!」それは神様ではありません。そのようなのは、神様の声ではありません。かつてあなたはそうだったのですが、これからなって行く姿ではありません。神様の御言葉から見えた、なって行く姿で私たちに名前を付ける特徴に一致しないのです。教会についてそのような言葉を使うことはありません。弟子たちを通して教会に語った時、「罪人」という名前は使っていません。ご自身の教会は何と呼んでいますか?「愛されたもの」「聖人」「神の子」神様の声を知って下さい。神様はご自身の民に付けている名前を知って下さい。真理を知って下さい。そうしたら偽物のメッセージを識別できるようになります。嘘がわかります。あなたを倒すための言葉を判断できるようになります。そのような非建設的な言葉が微妙な時もあります。同じクリスチャンからくる時もあります。


例:私たちが罪人だと言っている賛美の歌はいくつもあります。私は罪人です。私はいつも不思議だなと思います。なぜ? 神様の声はそうではありません。そのような歌を昔のように楽しむことができません。神様は私をそのように呼んでいないのです。神様がそのように呼んでいなかったら、なぜ私がなお自分をそのように呼んでいるのでしょうか?礼拝の中でなぜ自分をそのように呼んでいるんですか?


ヤコブは神様の声を聞きました。神様はヤコブのことを「イスラエル」と呼んでいました。その呼び方で示された恵みからヤコブは神様を拝みました。

私たちの耳も神様の声を認識できるように。私たちが神様に与えられた本当の名前が呼ばれるのを聞けるように、その新しい名前を聞いて神様に礼拝できるように。古い名前で落ち込まないように。これらすべて祈ります。


終わりに


ヤコブはシェケムで神様の声を聞きました。その声は彼に「立ち上がってベテルへ行きなさい」と言っていました。ヤコブは神様の声に従って、従う道を妨げるような偶像をすべてテレビンの木の下に処分しました。ヤコブがベテルで再び神様の声を聞きました。その時に、「あなたの名前はイスラエルだ」と言っていました。

今、神様の声をより明らかに聞こえますか?神様が語った時、もう少し明らかに聞こえますか?神様の御声により親しくなるように。聞こえた時に気づけるように。聞いた時に認識して、それを受け入れられるように祈ります。

アーメン





3 views0 comments