Japanese Translation: Genesis 7:17-8:12 (Translation by Yumi Takeuchi)

Updated: Nov 11, 2020

2020・7・5 ホライズンチャペル 世田谷 英語礼拝メッセージ 「沈黙と識別」 創世記7:17~8:12 アレックス・ロビンソン

神が沈黙されている時あなたはどう感じますか。今日の ノアの話では神は長い間沈黙している。神が最後にノア に語ったのは、箱舟の中に入りなさいという時だった が、次に神が語られたのはそこから出てきなさいという 時だった。今日は神が沈黙された理由は、特に語るべき ことがなかったからだということと、その沈黙の中でノ アがどのように神を求め続けたのかを学びたいと思う。

洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮べた ので、箱舟は地から高く上がった。また水がみなぎり、地に増 したので、箱舟は水のおもてに漂った。水はまた、ますます地 にみなぎり、天の下の高い山々は皆おおわれた。水はその上、 さらに十五キュビトみなぎって、山々は全くおおわれた。地の 上に動くすべて肉なるものは、鳥も家畜も獣も、地に群がるす べての這うものも、すべての人もみな滅びた。すなわち鼻に命 の息のあるすべてのもの、陸にいたすべてのものは死んだ。

地のおもてにいたすべての生き物は、人も家畜も、這うものも、空 の鳥もみな地からぬぐい去られて、ただノアと、彼と共に箱舟にい たものだけが残った。水は百五十日のあいだ地上にみなぎった。 神はノアと、舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを 心にとめられた。神が風を地の上に吹かせられたので、水は退い た。また淵の源と、天の窓とは閉ざされて、天から雨が降らなく なった。それで水はしだいに地の上から引いて、百五十日の後には 水が減り、箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。水はし だいに減って、十月になり、十月一日に山々の頂が現れた。

四十日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、からすを放った ところ、からすは地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへ飛 びまわった。ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見よ うと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見 つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地 のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の 中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って再びはとを箱舟から 放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのく ちばしには、オリブの若葉があった。

ノアは地から水がひいたのを知った。さらに七日待ってまた、はと を放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。 神はノアを覚えておられた(7:17~8:5) 先週、神がノアとその家族を箱舟に入らせ、その扉を閉じ、 彼らとすべての動物を救ったことを学んだ。さて、ここで洪 水が始まる。洪水は40日続き、ノアとその家族と動物たちは 1か月以上もの間、今までにないほどの最悪の嵐の中で船に 揺られたのだ。この雨は想像を絶するものだった。

7章の11節に「地の深い所の泉が湧き上がった」とある。地下 にあるすべての水が突然噴き出してきたと考えてみよう。地下 の水がすべてなくなるぐらい、地上に湧き上がってきた。こ れは大変な出来事だ。更に、天の窓が開かれた。ある人はこ れは雨の詩的な表現だといい、そうかもしれないが、これは 単なる雨ではなくとてつもない大雨だったに違いない。1:7に 戻ると、神が世界をお創りになった時の描写がある。

神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水 とを分けられた。 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕 となり、た朝となった。第二日である。 この個所の解釈によると、このおおぞらとは人間が住んでいる 空間のことで、洪水の前の地上には今と同じように水、つまり 海や湖や川があったと思われる。「おおぞらの下の水」であ る。しかし、ここに「おおぞらの上の水」と言う箇所がある。

つまり、地球を囲んでいる水があったと考えられる。水の層 が地球を保護していた。多くの人がこの保護があったからこ そ人類は生きながらえることが出来たと考えている。ある人 は900年も生きた。この地球を攻撃している有害な紫外線か ら地球を守っていたというのだ。 しかし、ノアの時代の後は人はそれほど長く生きられなく なった。寿命は非常に短くなった。なぜだろうか。地球を 守っていた水の層がなくなってしまったからだ。

神が天の窓を開いた時、文字通り水の層が地上に落ちてき たのだ。これは単なる雨以上のものだった。大異変であ り、地球を囲んでいたすべての水が40日の間に一気に地球の 表面に降り注いだのだ。 皆さんは自分がその船の中にいることを想像できますか。 窓一つなく、外の様子も全くわからない。ただ聞こえるだ け。空から落ちてくる大量の水の音が聞こえるだけ。耳が悪 くなるような大きな音で、恐ろしい音だったに違いない。

例話:数週間前、ひどい大雨が降ったのを覚えている。私が最 近経験した中で最も激しい雨だった。夜7時頃だったと思う が、突然激く降り始め妻と私は顔を見合わせた。子どもたち は起きてきて怖がり始めた。あの音を聞いていると、自分が落 ちていくような変な感じがした。自分の無力さを感じる。水か さが増して船が持ち上げられる感じはどんなだっただろうか。 超自然的な嵐の中にいることを想像してみて欲しい。

その船は誰にも分らない方へとさまよっていくのだ。そして、 この気が狂うほどの経験をしている間、神は何一つ新しい指示 を与えていないのだ。どんな気持ちになるだろう。40日の間神 からは何も語られない。ノアはどう感じていたのだろう。 そしてついにある日、雨が止んだ。深い所からの泉がついに止 められ、天の窓も閉められた。やっと静かになった。素晴らし い感覚だったに違いない。やっと終わった!!! ノアはてっぺんに創った窓を開けてみた。

19節に、水が山々を覆っていたとある。20節には水は15 キュビドの深さがあったと書いてある。それは22.5フィー ト、または6.75メートルである。ノアが窓から外を見た ら、見渡す限り水だった。まだ終わっていないことがわか り、どんなにがっかりしたことだろう。どこにも行くこと は出来ないし、彼が出来ることは何一つなかった。 例話:ちょっと親しみを感じることがここにある。突然問 題の嵐がこの地球を覆った。

しばらく外出禁止となり、嵐の後には全く違った世界が待って いた。行先も制限され、孤立状態になり、現在の日本のようで もある。 そしてさらに150日間彼は、水に浮いた状態だった。しかし神 からは何も語られない。ただ沈黙だけだ。結局神が船に乗るよ うにと語ってから、船から出るようにと言う次の導きを与える まで、全部で375日あった。1年よりも少し長い期間だ。神から 何も語られないまま、1年丸々漂流していたことになる。

その年がすでに(船づくりで)大変な1年だったことを考える と、この数年はノアにとって最もストレスを感じる困難な時代 だったことだろう。 さてなぜ何の指示も与えられなかったのか。なぜこんなに長く 沈黙していたのか。神は彼のことをお忘れになったのだろう か。 決してそんなことはない。なぜなら、8:1に神はノアとすべ ての動物を覚えておられたとあるからだ。ではどうしてか。

彼がいるべきところにいるので、特別な指示は必要なかった。 神は彼に箱舟に乗るようにと言い、その使命は箱舟の中にあっ た。彼がもういるべきところにいたので、それ以上に何かを指 示する必要はなかったのだ。だから、神は何も語らなかったの だ。 例話:私自身の人生を振り返って、神が明確に語ってくれた大 きな転換点を見ることが出来る。明らかに「箱舟にのりなさ い」と言われた瞬間があった。

16歳の時、はっきりと「宣教師になりなさい」と言う神の声 を聴いた。19歳の時、はっきりと「日本に行きなさい」とい う声を聴いた。23歳の時、はっきりと「沖縄に行きなさい」 と言う声を聴いた。24歳の時、はっきりと「ともこさんと結 婚しなさい」と言う声を聴いた。31歳の時、はっきりと「牧 師になりなさい」と言う声を聴いた。 それらの間には長ーい沈黙の時が流れていた。新しい導きが ないまま。その間に大変なこともたくさんあった。

そのような時、この困難は私が神の御心に従っていない から起きているのではないかと思った。なにか間違いを 犯したのだろうかと思い、神にどうしたらいいのか求め 続けた。しかし、何も導きは示されなかった。最初はそ れがとてもつらく、迷っていた。神は私のことを忘れて しまったのではないかとさえ感じた。 しかし、やが私は導きがない時でも神が私を忘れてし まったということではないことに気づき始めてきた。

神が意図した場所に私がいるので、特に新しい導きは必要な かったのだ。するべきことをしていたということだ。 このようなことはよくあると思う。新しいことを示す必要が ないから、神は何も示さないのだ。正しいところにいるから だ。では、正しい場所とは常に楽な場所だろうか。正直言っ て、そうではない。 ノアにとって、正しい場所は容易な場所ではなかった。1年 間船の中で、生き延びた動物たちに毎日エサをあげ続けた。

簡単なことではない。そして私たちにとっても、その場所は容 易な場所ではないのだ。実際、正しい場所は最も厳しい場所で もある。 なぜか。敵は、私たちが間違った道を行っても気にしないが、 正しい道に行くと躍起になって対抗してくる。王の命令に背き 反抗している兵士を攻撃する必要はなく、その人は放っておか れる。しかし、王に従いそこに従事している兵士は、敵にとっ ては脅威であり最も攻撃しなければならない的なのだ。

だから、正しい場所にいる時、最も激しい霊的な戦いを経験 する場所でもあるのだ。正しい場所とは必ずしも楽な場所で はない。そのことを基準にして自分の状況を判断することは 出来ない。では、どのように状況判断をしたらいいのか。 単純に言って次のことだ。神があなたに語った最後のことは 何だったか。はっきりとした導きは何だったか。それを行え ばいいのだ。次の明確な指示が来るまでそれを行い続けるこ とだ。なぜなら、神は怠惰でいいとはおっしゃらない。

常にするべきことがあるはずだ。私の経験では、神が何かから私 を離されるとき、必ず何か別のことを用意しておられる。常に行 くべき新しい場所を用意しているのだ。 例話:最近私は神から、ファンキーフライデーナイトのリーダ― を降りるようにというしい導きを得た。2年間仕え、とても楽 しい時だった。素晴らい人々だったが、彼らとの時間を終わら せるようにとはっきりとした導きを得、それと同時にインターナ ショナルフェローシップに集中するということを示された。

そちらの牧会に更に時間とエネルギーを用いるというこ とだ。だから、両方のミニストリーに片手で携わるので はなく、両手で一つのことに集中して取り組むという導 きだった。新しい導きを得るまで一か所で仕えてきた が、この度主の導きで新しい所へ動いたということだ。 ノアは行くところはなかった。水に囲まれていたのだか ら。それで、新しい導きが与えられなかったのだ。

実際に困難がやってきて疑いが起こった時、このことはと ても分かりやすい考え方だと思う。 例話:沖縄で初めて説教の通訳をした時のことを今でも覚え ている。8時間狂ったように勉強し準備したにもかかわら ず、結果悲惨なものだった。人々は怒り、日本語の先生は 私を叱り飛ばした。私は裏通りに行って赤ん坊のように泣 いた。その状況で自分のことを判断し、すべてをやめてその 場を去りたかった。でも結局同じことを何度も行った。

どこに行けただろうか。なぜなら、私が受けた最後の明確な導 きは沖縄にいくことだったのだから。その他には何も語らな かった。だから、そこを去っても行くところはなかったので、 そこに居続けた。結局そこが正しい場所だったのだ。 さて、誤解しないで欲しいのだが、もし神が一度もあなたを導 いたことがないのなら、それは別の話である。と言うのは、神 はすでにあなたをはっきりと導いているにもかかわらず、それ に従っていない時にも、指示を与えないことがあると思う。

新しい導きを与えない理由は、最初の導きに従っていないか らだ。私たちがどこへ行こうとも、最初に神が意図した場所 へ私たちを連れ戻そうとする。そして、次の指示を与える前 に、最初の指示に忠実に従うことを待っておられるのだ。 例話:イスラエルの民を思い出す。約束の地に入りそれを所有 せよと言われたのに、彼らは拒絶しその結果40年間荒野をさ まよった。その後彼らは全く同じ場所に連れ戻され、40年前 と同じことを示される。約束の地に入りそれを所有せよと。

神はどこであなたに指示したか。何をするように示されたか。 もしそれに従っていないのなら、イスラエルの民のようにそれ を避けているのなら、今日原点に立ち返り、神が示したことを 行おう。神はあなたが従うことを待っておられる。そしてその 後に、新しい道を示そうとされているのだ。 もし、あなたが神に示されたところにいるのなら、どんなに嵐 が吹いていても、正しいところにいるのである。次のステップ を示されるまで、そこで忠実に。仕え続けよう。

ノアは1年以上も船の上で最も厳しい嵐を経験した。そこ が彼がいるべき場所だった。しかし、この沈黙の間に、 神を求める必要はないのか。 いいえ。神を求め続けるべきだ。大きな導きを与えられ ないかもしれないが、神は常に私たちに語っておられ る。ノアも待っている間、神を求め続けた。

彼は鳩を放った。 神から新しい指示はなかったが、水の上を150日さまよっ た後、変化が現れた。8:3に、150日後に水が引き始め、ア ララテ山の頂上に船がとどまったとある。これは本当に大 きな変化だ。状況は依然と全く違う。その時ノアは神を求 め始めた。何が起きているのか。どこまで来たのか。次の ステップまでどれくらいあるのか。状況を見極めようとし た。

彼はそのために2つの方法を用いた。窓を開け、2種類の 鳥を放ったのだ。 1.カラス 最初の鳥はカラスだ。7節にこのカラスは彼のところに 戻らず、水が引くまで出たり入ったりしていたとある。 ノアの助けにはあまりならなかった。実際カラスが与え た情報は不正確なものだった。

というのは、戻ってこない時には、もう水が引いている かと思わせたが、その時点ではまだ水は引いていなかっ たのだ。だから、カラスの行動はあてにならなかった。 2.鳩 次に彼鳩を放った。最初の鳥とは違い、鳩は役に立っ た。ノアに正確な情報を提供した。9節に初めに放った時 には停まるところがなかったため、戻ってきたとある。

ノアはそれによって、まだ水が引いていないことがわかり、も う少し待つ必要があると判断できた。次に2度目にこの鳥を 放った。11節に今度は口に何かをくわえて戻ってきたとある。 オリーブの枝をくわえていた。ノアにとって、なんと素晴らし い情報だっただろうか!第一に木々が現れるほど水が引いてい ることが分かった。それ以上に、この洪水で木々が死んでいな いことが分かったのだ。洪水の前に彼が食物を得ていた樹木が 活きていたのだ!!

また、最初からすべてをやり直さなくてもいいということ だ。船を出た時、彼と家族はその植物から食料を得ること が出来るのだ。本当に安堵したことだろう。それで、オ リーブの葉は平和の象徴となった。国連のシンボルは鳩が オリーブの葉をくわえているものだ。それは平和の象徴 で、国連が世界の国々に求めているものだ。しかし、まだ 実現はしていない。ノアが鳩を見た時に、平和をもたらし たと感じたので、それが平和の象徴となったのだ。

次に彼は再び鳩を放つ。11節にあるように、今度は戻って こなかった。これもノアにとって大きな印となった。鳩は 船以外のところで生きられるということだ。彼自身も船の 外で生きられる時が間もなくやって来るということだ。動 ける時がまもなく来るということがはっきりしたのだ。 つまり、ノアは二つの方法を用いて、二つの違った結果を 得た。

そして、この2種類の鳥は、神の大きな導きを待つ間の、状況 を見極める2種類の方法を私たちに示していると思う。 1.カラスの見極め この2種類の鳥には違いがある。それは、一つは聖い動物だと 考えられ、もう一つは汚れた動物だと考えられていたことだ。 カラスは汚れた動物だ。その理由はカラスは死体に群がるから だ。彼らは雑食であり、ハゲタカのように死体をも食べる。

その中にあるすべての病気や病原菌が、その中に留まり、そ の鳥自体は死なないが、それを食べた者が病気にかかる。 また、ハツカネズミのような生き物も生きたまま食べる。ハ ツカネズミはたいてい狂犬病を持っていると言われている。 狂犬病にかかっているハツカネズミを食べたカラスを食べた らどうなるか。狂犬病にかかることになる。 だから、カラスは汚れていて、神の民が食べることも神にさ さげることも禁じられていた。カラスは神に受け入れられな いのだ。

カラスと同様に、神に受け入れられない考えや求めというもの がある。汚れていて、神の民にふさわしくない方法がある。 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新 たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨である か、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、 わきまえ知るべきである。(ローマ12:2) ここにこの世と妥協してはならないとある。

すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、 父から出たものではなく、世から出たものである。(第1ヨハネ 2:16) 世の人々を導きその状況を見極めさせるのはこれらの事柄であ る。彼らはこのように物事を見極める。 1.肉の欲:肉の欲を満たしているか。そうでなければやめよう。 2.目の欲:見て喜ばしいものか。見栄えがいいか。そうでなけ ればやめよう。

3.持ち物の誇り:自分の状況がプライドを保っているか。自分 に栄光をもたらしているか。もしそうでなければ、やめよう。 第1ヨハネで言っているように、このらの考えや見極め方は父か ら来たものではない。神に受け入れられるものではない。聖くな いのだ。カラスを食べるのが健康に良くないのと同じように、こ れらの事柄を受け入れることは不健康なのである。そして、カラ スを神に捧げられないのと同じように、私たちの生き方の言い訳 として、これらのことを神に捧げることはできないのだ。

神の民として、私たちはこれらのパターンと動機に一致し て生きることはできない。また、先ほど見たように、カラ スは不正確である。間違いへと導く可能性がある。 例話:再び沖縄の話だが、もしこれらの基準に従って状況 判断していたら、飛び出していただろう。沖縄は私にとっ て肉的には喜ばしい所ではなかった。バイブルカレッジで の食事は東京で食べていた物よりずっと量が少なかった。 足りない時には、食べたいだけキャベツを与えられた。

確かに健康的ではあるが、肉的には嬉しくなかった。 沖は見た目にも喜ばしくはなかった。13人の男性と寮に住 むことは、決して見栄えのいいものではない。決して!! 持ち物誇りに関しても決して満足する者はなかった。訓練 に必要な多くの責任感を伴う、非常に謙遜にさせられる状況 だった。プライドが打ち砕かれる経験だった。前日に門限を 5分過ぎただけで次の日の早朝、トイレ掃除をさせられた 時は、プライドが粉々にち砕かれた。

もし、これらの事柄で自分の状況を判断していたら、間 違った方向に導かれて行ったことだろう。しかし、正にあ の場所が私が成長するために神が与えた場所だったのだ。 だから、自分の状況を見極める時に、本当に注意深くなけ ればならないのだ。 もし、この世の方法で神を求め、カラスの見極めをしてい たら、間違った判断に陥ることだろう。

2.鳩の見極め しかし、ノアが鳩を用いた時、現状を正確に把握し、その結 果を知ることが出来た。カラスとは違い、鳩は聖なる動物 だ。食べるものの故に聖いとされている。それは、穀物、 葉っぱ、木の実、果実、種などの聖いものを食べていた。昆 虫も食べるが生きているものだけだ。死体に群がることもし ない。彼らは聖いのだ。それで、人間も鳩を食する。彼らは 病気をもたらすことはなく、健康的な食べ物である。

そして、神に受け入れられる捧げものにもなりうる。子羊を捧 げられない時は常に代わりに鳩を捧げることが許されていた。 また、らい病人が癒されたときにも鳩を捧げた。 しかし、鳩が私たちの状況を見極めるための、神に受け入れら れる方法だとしても、その方法とはいったいどういうものか。 聖書における鳩は、聖霊の象徴である。イエスがバプテスマを 受けた時、聖霊が彼の上にどのような形で下っただろうか。そ う、鳩の形でくだったのだ。

それで、私を送り出してくれたアメリカのカルバリーチャ ペルのシンボルは鳩なのである。鳩が天から下っているも ので、聖霊を表している。 このように神の民は神を求めるべきなのである。現実の状 況を見極める時、聖霊によってなすべきだ。神の民は肉の 思いではなく目の欲でもなく、持ち物の誇りでもなく、聖 霊の導きによって事柄を判断すべきなのだ。

ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊 である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。この賜 物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いない で、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのであ る。生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には 愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるか ら、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべての ものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。 (第Iコリント2:12~15)

あなたは今置かれている現状を知りたいと思いますか。聖 霊を求めてください。聖霊はノアにしたように、あなたに 真理を語ってくれるでしょう。 聖霊は鳩が最初に放たれた時のように、今いる場所で待つ ことを教えてくれるだろう。 聖霊は鳩が2番目に放たれた時のように、あなたに平安な 心を与えてくれるだろう。

また、聖霊は鳩が3度目に放たれた時のように、あなたに動く 用意をするようにと語ってくれるだろう。 これらのことはすべてカラスによってではなく、鳩によって見 極められるのだ。聖霊の導きによって見極められるべきだ。 私達みんながそのような導きを得ることが出来るように祈り ます。この聖霊の導きによってのみ己の状況を判断しますよう に。というのは、これだけが神に受け入れられる判断だから だ。聖霊に導かれて歩めますように。

結論:神はノアにどこにいるべきかをはっきりと語った。そし て、ノアは神が出てきなさいというまではそこに留まり続けた。 我々もそうであることを願う。 ノアはカスと鳩を用いて導きを求めた。平和のメッセージをも たらしたのは鳩だった! 私たちも他の物でもなく鳩、つまり聖霊によって事柄を決める ことが出来るように。 アーメ ン





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