Japanese Translation: Luke 2:1-7 (Message: Pastor Robinson / Translation:Yumi Takeuchi

ホライズンチャペル・世田谷英語礼拝 2020/12/20 「巧妙なる神」 ルカ2:1~7 アレックス・ロビンソン


今日は初めてのクリスマスについて学ぼう と思います。当時の世界は最高権力をもっ た独裁者によって支配されていました。1 人の男の言葉によって世界全体が動かされ るような時代でした。一組の若い夫婦が家 を出て何マイルも歩き、汚く古い小屋へと 移動しなければならなかったのです。

しかし、そこで王の王が誕生したのです。 彼は世界を治め、もっとも困惑した人々に 生きる意味をもたらしたのです。その方は 巧妙なる神であり、御自分の計画に従って 人々を動かしました。そして、私たちも神 の意図されたところに留まりたいと思わさ れます。

聖書朗読、ルカ2:1~7 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土 の住民に、登録をせよとの勅令がでた。 これは歴史的背景を説明しています。当時は ローマ帝国の時代であり、その時点におい て最も多くの領土を所有していました。

また、その力はその後二度とそれほど広く及 んだことはありませんでした。当時知られて いたほとんどの領土を支配していました。そ の時まではローマの数人の将軍によって支配 されていましたが、徐々に一人の人にその支 配力が集中していき、ついにガイオ・オクタ ビアヌスが支配権を握りました。

彼は叔父のジュリアス・シーザーから、 シーザーという称号を譲り受け、ローマの 上院からアウグストゥスという名を与えら れたのです。何百年もの間、ローマは人で はなく法律によって治められる共和国と言 う立場を誇りとしてきましたが、このオク タビアスがそれを変えてしまったのです。

紀元前27世紀に彼はアウグストゥスと言 う称号を自分に与えるように要求しまし た。それは、「尊敬された」とか「聖なる」 という意味でした。つまり神にしか使われ ない名前を彼が自分につけ、ローマの初代 皇帝として君臨するようにしたのでした。

ですから、この徴税の勅令と言うものは彼 が初めて己の立場を用いて民衆に課したも のでした。それはローマだけでなくその属 国とされていたすべての国に対してなされま した。何の手続きもなく皇帝が命令を出し たら、当時の世界全体が従わなければなら なかったのです。

実際に歴史上の文書に、この勅令がローマ 以外の国々に出されたという記録が残って います。エジプトの歴史にも、この勅令のた めに民が生まれた場所に帰らなければなら なかったことが記されています。

しかし、ある一人の人の言葉で全世界の人 が動かされることを考えてみてください。 当時のユダヤ人はどのように思ったでしょ うか。神の民であるのに、一人の人の言葉 に従わなければならないとは。一人の人の 気まぐれの言葉に振り回される人生なので す。

恐らく、神に対して、どうしてこんなことが 起こるのか疑問を抱いたことでしょう。本 当に神が共にいるのかと疑う人もいたかも しれません。まるで、全能の神ではなく、 このシーザー・アウグストゥスが世界を治 めているかのように見えたのです。

確かに、少なくとも今日読んだ聖句の中に は神について一言も語られていません。状 況だけを見ると、神の介入が全く感じられ ません。

私たちの人生においても神の臨在を全く感 じないように思える時があるように思いま す。もちろん時には、神の明らかな臨在と 導きを感じる時もありますが、そうでない 時も多いと思います。毎日の生活の中で、た だ状況に流されているだけだと感じる瞬間 も多いと思います。

例話:私たちは今エステル記を学んでいます が、すべてはただ偶然に起きているかのよう に感じます。ある王様が酔っぱらって妻に怒 り、美しい劇を催してエステルを女王としまし た。何のの道理もそこにはないように見えま す。ある男の怒りによって、すべてのユダヤ人 が殺されなど、非常に理不尽なように感じま す。

神に関することは一言もそこには書かれていな いのです。まるで神はその状況を見捨てている かのようにさえ感じます。 私たちの状況もそのように感じる時がありま す。 ある国の少数の人々のある決断によって、今や 全世界の人々が病気に苦しんでいます。

ユダヤ人が当時のローマの独裁者の元で苦しん でいたことに少し共感できるかもしれません。 私たちも同じように、人間の思惑に右往左往し ているだけで、神の介入は全くなく、まるで神 に見捨てられたのかと感じているかもしれませ ん。 もう、絶望的な世の中だと・・・

しかし、エステル記と同じように今日の個 所も悪や、高ぶった人間によって私たちが 支配されているわけではないことを伝えてい ます。それどころか、それは神が私たちに 与えられた目を用いるように招いているの です。世界の人々とは違った見方をするよ うにと導いているのです。

世の中はすべての出来事を、無秩序、偶 然、無意味なこととしてとらえます。この 地球も、どこからともなくやってきた物質 の爆発によって偶然に出来、その爆発に よって偶然命が現れ、今のような世界に なっただけだから、すべての物には何の意 味もないと考えるのです。

しかし、私たちの見方は違います。神の世 界では、何一つ偶然にできたものはありま せん。初めに神が存在したからです。神 が、その叡智によって、すべての物を巧妙に 計画したので、決して混沌としてはいないの です。それどころか最初は混沌としていたも のに神は秩序をもたらしたのです。

闇と光を分けられました。昼と夜。水を分 け、陸地を創りました。地の境界を定め、秩 序をもたらし、その中に命を創られたので す。 例話:神は私たちの体の中に秩序を与えるた めに遺伝子を創造しました。それによって、 細胞の働きや動きをつかさどることにしたの です。

そして、その情報を次の世代に受け継がせ るようにデザインしたのです。私たち一人一 人の中にそのような精密な遺伝子が組み込 まれているのです。約30億の性格とDNAが 私たちの遺伝子に組み込まれています。一つ の細胞からその暗号を取り出し解明する と、180センチの長さになるそうです。

そしてもし、体のすべてのDNAを並べると、月 に17万8千回往復できるほどの長さになり ます。その暗号はあまりにも複雑なので、24 時間1秒に1つの暗号を読み解いていくと、 一人の人のDNAを読み解くのに96年間かかる と言われています。体の創造にはそれほどのち 密な構造とデザインが用いられています。

神は無秩序の神ではなく、秩序をもたらす 神なのです。気まぐれの神ではなく、ち密 にすべてを設計される神なのです。神はその ような立場に立つよう、私たちを招いてお られます。神はこの世界と人々にも最善の 事柄をなそうと巧妙にご計画されている神 なのです。

酔っぱらいの王とエステルの劇の裏に神 は、きちんとご計画を持ち、ご自分の民を 救う計画を立てておられました。その話全 体を読む時に、その前半で起きた一つ一つ のことに対して、そのすべてを良きことの為 に覆した神の素晴しい大きなご計画を見る ことが出来ます。

今日読んだ個所においても、ローマ皇帝の気 まぐれな行動によってなされた事柄の裏で、 その状況を神ご自身の目的のために用い、ご 自分が計画した福音をもたらすために、確実 に神は働いていたのです。皇帝アウグストゥ スは、神の道を整えるために来たバプテスマ のヨハネのようだと言う人さえいます。

彼によって、大きな帝国が築かれ、言語が統一 され、道路が整備され、そのおかげで福音があ らゆる地方に伝わることが出来たというので す。 しかし、当時の人々にとってはそれを見ること は出来ず、ユダヤ人の望みはローマの支配から 解放されることでした。皇帝よりも大きな神の ご計画があることを知る由もなかったのです。

私たちも、時に神のしていることがわかりま せん。そして、何の意味もない現在の苦しみ から解放されたいと叫び求めます。しかし、 私たちは違った見方をすべきなのです。見え る状況から一歩距離を置き、この無秩序の中 における神のご計画を探し求めるべきなので す。そうすれば見つけるでしょう。

今日ではないかもしれません。何年もかか るかもしれませんが、ある日すべてのこと が神の完璧なご計画の中にあったと悟るこ とができるでしょう。現代のような恐怖を もたらす伝染病でさえも、神はその中で働 くことがお出来にならないでしょうか? いえ、できます!!!

例話:私は手足口病にかかった時のことを忘 れることが出来ません。私の子供たちも皆か かり、足の痛みとのどの痛みを訴えていまし た。しかし、彼らの症状は軽いものでした。 これは8月のキャンプの時期で最も忙しい時 でした。彼らは結局キャンプに行けませんでし た。大人がうつることはないと聞いたので、 私は1人でキャンプに行きました。

でも、その初日に足が痛くなり足の裏を見て みたら、ひどく膨れていたのです。徐々に歩 けないほど痛くなっていきました。針の上を 歩いているような感じです。その日の夕飯は ミートソーススパゲティでしたが、一口食べ るだけで、拷問のような痛みを感じました。 火を食べているような感じでした。

そして、私も手足口病にかかっていることが明 らかになり、スタッフに伝え家に帰らせても らいました。そこから家までの帰り道はそれ ほど長い道のりではありませんが、人生で最 も長く感じました。駅の入り口から電車まで も拷問のようでした。やっと町田駅まで来た ところで、妻が迎えに来てくれました。その後 の一週間、私は何もできませんでした。

痛みに耐えてただ横になっているだけでした。 何も見たくなく、聴きたくもなく、読みたく もないのです。そしてアイスしか食べれません でした。アイスクリームではありません。ただ の凍った水だけです。1人で毎日ただ横になっ ていました。妻が部屋の換気のために窓を開 けたので、ただ毎日セミの鳴き声だけを聞き 続けていました。

セミの鳴き声を聞いていた時、突然昔のこと を思い出したのです。子供の頃からその声を 聞いていました。私の家の近くにセミがいた わけではないのですが、私は本物の日本アニ メのオタクだったので、すべてのアニメの バックグラウンドにセミの声が流れていたの です。その音にいつも魅了されていました。

その音こそが日本だと言う感じがしていたの です。いつかその音を生で聞いてみたいと 思っていました。初めて日本に来た年の7月 にセミの声を聴き、涙が出てきたのを覚えて います。心の底から神に感謝しました。「私 を夢の国に連れてきてくださり本当に感謝し ます。」と。しかし、時が経つにつれて、そ の喜びと感謝が薄れていきました。

セミの鳴き声もただの音にしか聞こえなくなり ました。でも、その時何もできずにただセミの 声をじっと聴いていた時、そのことが思い出さ れたのです。私は日本にいるのです!子供の頃 からずっと夢見ていた日本にいたのです!突然 鮮かに、ここにいることの感謝がよみがえって きました。手足口病にかかって寝たきりになっ た状態で、感謝の思いが蘇ってきたのです!

神は混沌の中に秩序を生み出すことがお出来に なります。意味がないと思われる中にもご計画 を持つことがお出来なのです。私たちを治める 大きな力は存在しますが、それに勝る最も偉大 な力のあるお方がおられるのです。 まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ 治めておられる。(詩篇22:28)

へブル2:8にあるように、「万物をその足 の下に従わせられました。万物を彼に従わせ たとき、神は、彼に従わないものを何一つ残 されなかったのです」 ローマ帝国に関しても、ペルシャの王に関し ても、マリアとヨセフの状況に関しても、す べてにおいてこのことが当てはまるのです。

ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレ ヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビ デの家系であり血筋でもあったので、身重になって いるいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するた めであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マ リヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、 布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼ら のいる場所がなかったからである。(ルカ2:4~ 7)

ヨセフとマリアも生まれ故郷に帰らなければなりま せんでした。ヨセフはまたダビデの家に属し、その 血筋であったので、ダビデの町ベツレヘムに帰らな ければなりませんでした。マリアが妊娠していても 関係なく、最もタイミングが悪い状況でした。私も 同じような経験をしたことがあります。妻が初めて の子供がお腹にいる時、空港の検疫で2時間待たさ れたことがあり、もう二度と経験したくありませ ん。

ナザレとベツレヘムは約80マイル(128キ ロ)あり、それを徒歩で行くには大変な旅でし た。お腹の大きい女性にとってそれは過酷な旅 だったでしょう。それでもやるしかなかったの です。まだ正式に結婚していなくても行かなけ ればなりません。彼らはすでにいいなづけに なっていたからです。しかし、それに関しても タイミングが悪いとしか思えません。

貧しくても関係ありません。仕事を途中でや めて他の町に移動すると言うのは経済的にも 打撃だったことでしょう。しかし、彼らは出 発しました。やっと到着してもそこには泊ま る場所はなく、一番大事な泊まる場所を求め て彼らはあちこち歩き回りました。その間不 安になり、焦りを覚えたことでしょう。

やっと見つかったところは馬小屋だったのです。 問題がどんどん大きくなっていったのです。 私はいつもキッズのクリスマスを見ていて、ヨセ フとマリアは夜遅く町に到着したから、泊まると ころが見つからなかったのだど思い込んでいまし た。そして、ちょうどその夜にイエスが生まれた のだと。そして、次の日にはどこかの宿を見つけ たのではないかと思っていました。

しかし、6節には一晩とは書いてありませ ん。「ベツレヘムにいるうちに月が満ちた」 とあります。どれくらいそこに泊まっていたか は不明です。何週間か何か月か滞在していたか もしれないのです。分かるのはイエスが生まれ た時に、彼らは馬小屋にいたということだけ なのです。彼を飼い葉おけに寝かせたとある からです。

誕生に関して、とても寂しい状況が描かれてい ます。普通は出産を助ける助産婦がいるはずで すが、7節にはそのような記事はありませ ん。 「男子の初子を産んだ。それで、布にくるん で、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのい る場所がなかったからである。」(ルカ2: 7)

マリアは自分一人で出産し、布にくるんで飼い 葉おけに寝かせたという印象を受けます。と ても寂しい描写です。彼らはどのように感じて いたのでしょうか。その過酷な旅をしている 時、泊まるところも見つからなかったとき、 馬小屋が与えられたとき、出産も寂しく汚い 所でなされた時、彼らはどう感じていたで しょうか。

心の中で、なぜ神がこのようなことをされる のか自問自答したでしょうか。彼らの信仰は 素晴らしかったから疑問に思うことはなかっ たかもしれませんが、もし私だったら疑った かもしれません。なぜ神がベツレヘムまでこ んな旅をさせるのだろうかと。ナザレには ちゃんと暖かく清潔な場所があり、そこで初 めての子供の出産をすることもできたのに。

ちゃんと助けてくれる人もいたはずです。 特に、彼らに与えられた約束、そして彼らの純 粋な信仰のことを思うと。マリアは結婚する前 に妊娠すると言う恥をも受け入れ、「私は主の はしためです、お言葉通りこの身になりますよ うに」と答え、ヨセフは主の言葉を信じてマリ アを受け入れ、小さな町で笑いものになること も承知の上ですべてを受け入れたのです。

彼らはこの地点まで素晴らしい信仰を持ち 続けていました。それなのになぜ、こんな ひどいことが彼らに起こるのでしょうか。 神様なぜこのような経験をさせてまで、彼 らをベツレヘムに連れて行かなければなら ないのですか?なかなか受け入れられない ことです。

しかし、神は巧妙な神です。神が私たちを動か すのに何の気まぐれや偶然も存在しないので す。偶然今ここにいる人や、今の状況に置かれ ている人は1人もいないのです。その時には 偶然という感じがするかもしれません。 例話:私がホライズンに来たことも、偶然の ことのように思われます。私の家族は町中の 教会を転々としていました。

そしてたまたま以前宣教師だった牧師のいる 教会に落ち着いたのです。私は毎年ミッショ ントリップに行っているユースグループに属し ました。そのユースパスターが、たまたま若 い時にジェレマイア牧師の友人でした。彼は その頃ホライズンで牧会していたのです。そ れで、私たちをここに招待してくれました。

それで、私が15歳の時、この建物に入り、 初めてここのインターナショナル礼拝に参加 しました。 15歳の時は正直言ってすべてが偶然で何の つながりもないことと思っていました。し かし、今何年も経って、このホライズンの インターナショナル礼拝の牧師となり、そ のすべてが計画通りだったことを思います。

その時は何一つわからなくても、神は私を最 も適切なところへと導いていてくれたのです。 ヨセフとマリアも過酷な旅をし、なぜかわか らなかったかもしれませんが、神の巧妙な采 配がそこにあったのです。それで、イエスはベ ツレヘムで生まれるということが成就したの です。自分ではわからなくても大きな役割を 果たしていたのです。

世界の始まる前から神が計画し、人類が罪 を犯してから、預言され続けていた約束の 成就のために彼らは大きく用いられたので す。救い主が来ると言う約束です。700年 も前に神が約束した通りに、約束した場所 で生まれたのです。

ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の 中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わ たしのために、イスラエルの支配者になる者が出 る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定 めである。(ミカ5:2) ヨセフとマリアの旅によってこのことが成就しま した。ですから、博士たちがユダヤの王を探しに 来た時、どこにいるのかはっきりとわかっていた のです。

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生 まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムに やって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれ になった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東の ほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」そ れを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も 王と同様であった。そこで、王は、民の祭司長たち、学者 たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問い ただした。彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムで す。預言者によってこう書かれているからです。

彼ら自身は少しも理解していなかったかも しれませんが、最も大切なことを行ってい たのです。なぜならその背後に神が働いて いたからです。すべてを通して奇跡をなされ る神が、彼らをそこに導いたのです。私達 全員のために神は同じことを行われるので す。

神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出 して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められ た時代と、その住まいの境界とをお定めになりま した。これは、神を求めさせるためであって、も し探り求めることでもあるなら、神を見いだすこ ともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひ とりから遠く離れてはおられません。 (使徒17:26~27)

もしかしたら、あなたはこのクリスマスに あまり好まないところにいるかもしれませ ん。あまり好ましくない状況に立たされて いるかもしれません。何かの間違いではな いかと。私たちの神は間違いをされるよう な方ではありません。彼は巧妙な方です。 彼には特別なご計画があって、あなたをそ こに配置しているのです。

ですから、自分にこのように尋ねてみま しょう。「あなたはどこにいますか?今日 2020年12月20日、あなたはどこに いますか?神はあなたをどこに配置してい ますか?」そして、この質問に答えたら、 「そこにいなさい。」と私は言いたいと思 います。

もうすぐクリスマスシーズンは終わります が、自分がいるところから逃げようとする のではなく、今いるところに留まり、彼が あなたを置いたその場所に、意識を持って 留どまろうではありませんか。神があなた をそこに置いた目的をしっかり果たすため に。神があなたのために持っている計画に 積極的にかかわるために。

状況に任せたり、別の場所のことを考えて 時間を無駄にするのではなく、今その場所 をもっと楽しむために。この時期をしっか り味わおうではありませんか。クリスマス は1年に1度しか来ません。2020年の クリスマスはもう二度と来ないのですか ら。今をしっかり生きましょう。

結論:初めてのクリスマスは、全世界が一 人の権威を持った男の支配のために苦しん でいました。ユダヤ人はその男からの解放 を待ち望んでいました。それはその男が、 実は救い主の誕生と神が約束した福音のた めに用いられていることを知らなかったか らです。

そのようなひどい状況を神の秩序へと変え ることのできる同じ神が、あなたのために 同じような奇跡のわざをしておられるので す。 最初のクリスマスに、マリアとヨセフは家 から何マイルも離れた冷たい汚い馬小屋に いましたが、それによって予言が成就した のです。

彼らをそこに配置した同じ神が、今日あな たを特別な目的を持って今ここに配置され ているのです。 メリークリスマス!




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