Japanese Translation: Matthew 6:5-9 (Message: Pastor Robinson / Translation: Kuan Aw)

子供のように祈る

マタイ福音書6:5-9

アレックス・ロビンソン牧師

今まで創世記の勉強は素晴らしい経験でした。時間がかかりましたが、思い返せばコロナが始まったごろからスタートしましたね。そして、教会もそのごろから変化しています。一部のメンバーが離れその代わりに一部のメンバーが新たに加わりました。神は忠実なお方です。ずっと忠実に守ってくださり、感染が広がる時期でも、教会で礼拝し続けることができました。私たちはたいへん祝福され、ヨセフの話が終わるにつれて、夏の間は「聖書の祈り」について勉強したいと思います。9月には新たに別の書を勉強する予定です。

創世記は私たちに「信仰」というものを多く教えてくれました。それから「神のタイミング」、私たちが一番必要とする時期とも言えます。私たちにとっては、2020年はノアのような年でした。今は各地でワクチンが実施され、これからどんどん接種できるようになるでしょう。皆さまはワクチンを打つかどうかと関係なく、これから感染者数が減る傾向であるでしょう。私たちはノアの箱舟の中にいますが、嵐が静まる気がします。情報の制限がある中、ここで何か予言するつもりはありませんが。

洪水が引いていく時には、ノアは何をしましたか?終わりそうで終わらないとき、ノアはからすを放しました。ノアは次はどうなるかを調べるためにそうしたのです。私たちもからすを放す時期になったのではないでしょうか。そろそろ次はどうなるかを考えるときがきたと思います。洪水が引いたあとは、元の生活に戻りますか?それとも何か新しいものが始まるのでしょうか?わたしたちはからすを持っていませんが、からすを象徴とする神様の霊を持っています。神に尋ねるための祈りという方法があります。

ですから、祈りについてじっくりみていきたいと思います。聖書の中にあるすべての祈りです。今日は基本から勉強し、聖書の中に一番有名な祈り、「主の祈り」について勉強します。

その方法は、霊的スパーマンのようではなく、子を愛する父に対するように、祈ることを勉強します。

聖書朗読:マタイ福音書6:5-9

偽善者のように祈ってはならない

「主の祈り」は非常に有名です。よく暗記されています。しかし、これは「主の祈り」というよりも、弟子たちに教えるための祈りだったことを理解されていないと思います。しかも、その内容は当時の状況から非常にタブーで、神との関係を変えてしまうほど歴史的に重大でした。

この画期的な祈りを教える前に、イエス様はもっと攻撃的で過激な教えをしたわけです。その当時はユダヤ人リーダの祈りか、異邦人の祈り二通りあったようです。

ユダヤ人リーダは毎日一日三回祈り、9時、12時そして15時。教会で集まって祈りますが、途中で立ち止まり、他人が見えるように大声で祈り、一定の恰好をし、イエス様によると他人に褒めてもらう狙いがあったそうです。

「すごい!祈り熱心だ!教会に着くまでに待てなかった、どんなに敬虔だ。。。」

イエス様はこのような人は偽善者と呼びます。

英語の偽善者Hypocritesは、役者がマスクを着けて役作りという意味です。これについて二つの見方ができます。

神中心に見せかけて、本当は人中心です。他の人の賛美を期待して、他の人より優れていると感じたいだけです。

私たちは彼らを批判できません。なぜなら私たちもある程度似たようなことをします。

例:「今朝、4時ごろ祈っていた時にあなたのことを思い出したんだ。」

 「彼は祈り熱心だ!彼の祈りはメジャーリーグ、私のはマイナーリーグだ!」

しかし、これよりもっと危険な見方があります。他人の評価を求めることはその人個人的な問題に過ぎないが、その行動で周りに誤ったメッセージを送り込んでいることのほうが破壊力が強いのです。

なぜなら、偽善的祈りは真実を歪んだのです。偽善(Hyprocrisy)は別の意味で真実ではないことを人々に見せつけています。

ここの問題は、祈りを聞いてもらうためにどうすれば良いのかということです。一日3回、大声で祈らなければ神様に聞いてもらえないという間違ったことを伝えてしまい、神は遠い存在で、無関心な神というイメージを人々の心に植え付けてしまうからです。

今日でも多くのユダヤ人はこのように祈ります。更に祈りのショールを追加し、大声で祈っています。一日3回祈らなければならないというのは立法にありません。

ダビデはこう言います。

朝、昼、晩と、私は神に祈り、大声で嘆願します。すると、主はその願いを聞き入れてくださいます。  詩篇55:17

ダビデは個人の信念によって、一日3回祈りする習慣をつけています。朝4時からお祈りの時間にする方は、その方と神様間のことです。イエス様はこのように教えています。

6 祈る時には、一人で部屋に閉じこもり、父なる神に祈りなさい。隠れたことはどんな小さなことでもご存じのあなたの父から、必ず報いがいただけます。 マタイ福音書6:6

もし一人で部屋に閉じこもって祈るのが良いと考えるなら、それでも結構です。神との間に決めればよい事と思います。

しかし、これらのユダヤ人は屋外で祈り、周りに見える状態で祈っています。他人に注目されたいだけで、神様のイメージを壊していることを気づいていないのです。イエス様は彼らのように祈ってはならないと教えています。これらのユダヤ人は教会で重要な人たちであり、そんなことを言うイエス様はまるで彼らの地位を脅かすことです。

一方、異邦人の祈りについてははこのようなコメントがありました。

異邦人のように同じ文句を何度も唱えてはいけません

イエス様が指している異邦人とは、当時イスラエルの周り住んでいた人々、或いはローマの神々を信じていた人でしょう。弟子達は普段見かけられる人たちのことを言っています。ユダヤ人の祈りとは違って、一つの方法だけでなく、たくさんの神々へ色んな方法がありました。

7 ほんとうの神を知らない人たちのように、同じ文句を何度も唱えてはいけません。彼らは、同じ文句をくり返しさえすれば、祈りが聞かれると思っているのです。

彼らは、心でどう思っているかと関係なく、正しい言葉を使い、長い祈りをすれば、祈りが効くと思っていました。このような考えは、神様がそうでないと聞いてくださらないことを他人に伝わってしまい、神様を惹きつけるためには良い印象を与えたなければならないことを教えてしまいます。わたしたちも同じことをするかもしれません。

例:小さい頃からよくこんなフレーズをよく聞きます。“Bless this food to the nourishment of our body.” (この食べ物を私たちの体の栄養に祝福してください。)よく考えてみたら、祈りよりも、食べている物によって体が祝福されるかと否かでしょう。すでに神はブロッコリーに十分な栄養を与えているのに、ブロッコリーの為に祈る必要でしょうか。ドーナツを食べる前にこのような祈りしても、結局は大量な糖分と変わりがありません。

時々、自分は何を言っているかわからなくなり、ただ単に長い祈りをしてしまいます。また、美しい表現を使って、一体私は誰に感銘を与えようとしていますか?

こんな風に祈ると、周りにこれが正しい祈り方だと教えてしまうのです。まるで神は私たちの祈りでも感銘されるのようです。魔法な言葉であれば神様が聴いてくださると。

神はこのようなお方ではありません。私たちの演技の良し悪しで、神の関心が変わりません。

例:カメル山でバアルの予言者たちの長蛇の祈りを思い出します。一日中祈り続けても何起こりませんでした。

イエス様はこのような祈りは正しい祈りではないといっています。正しい祈り方はこうです。

我らの父

イエス様の祈りの始まりはこうです。

6 祈る時には、一人で部屋に閉じこもり、父なる神に祈りなさい。隠れたことはどんな小さなことでもご存じのあなたの父から、必ず報いがいただけます。

9ですから、こう祈りなさい。『天におられるお父様。』

イエス様は神との関係が正しい祈り方と言っています。子供とお父さんの間の会話のように。

このような考え方は斬新でした。旧約聖書で神を父として表しているのはイスラエルの父だけです。国の父であり、個人の父ではないです。子供とお父さんの会話は決まったタイミングでしなければならいのですか?

いいえ。

例:子供は決まった時間にならないとお父さんに頼む必要がありません。何か必要だったら、すぐに言えばいいのです。起きたら、まず朝ごはん!ヨーグルトが欲しい!ホットケーキ!誕生日の時にはカメラ、ポニー、コーヒーミル(本当に聞いたことがあります)。お父さんお父さん、お姫様のようなドレスが欲しい!時間と場は関係ないのです。急いでメッセージを書いていることも関係なく、子供たちはきます。

子供はどんな時でもお父さんがそこにいてくださることをわかっているからです。神様も同じです。どんな格好しても構わないのです。

例:うちの子供たちはお風呂上りに、裸のままで話をかけられます。まずは服を着なさいと言っても、聞いてくれないのです。

祈りのショールがいらない、格好なんか関係ありません。お父さんと話すから、一番良い服を着なくても良いです。そして、長い祈りも必要がありません。

例:あなたは赤ちゃんの時に話す事ができませんでした。話さなくてもお父さんが分かっています。おむつが汚れた、飲み物がこぼれた、転んで血が出た。長女はズボンをはくのが嫌いで、スカートが好きだったので足は傷だらけになってしまいます。彼女にいちいち傷がついたのかを聞く必要もない、なぜなら私はお父さんだからです。

神もあなたの必要をよくご存じです。たくさんの言葉を使って説明する必要はありません。

そして、美しい表現で頼む必要もないのです。

例:「お父様、自分の為ではございますが、権威を持っておられるお父様のご計画通りであれば、どうかクッキー一枚いただきたくお願い申し上げます。」と言わなくても大丈夫です。むしろ、子供たちはこのように喋り始めたら、心配した方が良いかもしれません。

イエス様が言っているのは、宗教的熱心の人たちから祈り方を学べません。子供とお父さんの会話から学ぶのがベストです。

3 「よく聞きなさい。悔い改めて神に立ち返り、この小さい子どもたちのようにならなければ、決して天国には入れません。 4 ですから、小さい子どものように自分を低くする者が、天国では一番偉いのです。マタイ福音書18:3-4

本当にシンプルでごく普通のことです。人間が必須と考える条件は、時に神の印象を悪くしています。神は本当に良いお方です。愛が溢れる優しい方です。ですから祈るときに、まずこの関係を認識してから始めましょう。

『天におられるお父様。』




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